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“白騎士団”物語 1-11

『その正体』

 陽もだいぶ高くなったころ。ロビンは『Chocolate Lily』の店先に立ち、ガラス窓を濡れた雑巾で拭う。

 この日もよく晴れていた。そよぐ風は心地よく、陽光もほどほどに温かい。軍の制服を着た人間が何人か街中をうろついていること以外は、街全体に大きな変わりもない。街はずれの研究施設で災害があったとかで、その調査に軍が乗り出している影響だった。

 またずいぶんとおかしな話ねぇ。昨日の夕方、新聞を片手にカウンターで暇をしていたリリーが首をかしげていた。研究所は普通、こういった災害対策には特に気を遣うものなのに。

 足元に置いた木のバケツで雑巾を洗う。バケツいっぱいに張られていた水が、少し濁った。

 窓の上から順に磨いていって、それが終わるころには足元の水もくすんでしまう。長いこと外側の掃除をしていなかったせいだ。

 店の脇のほんの狭い通路から裏手へ回り込む。日蔭になってはいるが風通しのよい場所に、ささやかな排水路があり、格子の蓋がされていた。そこへバケツの水を捨てて、店の裏口、小さな木の戸のわきにバケツと雑巾とを置き去りにする。渇いたころになかに引き上げるのだ。『Chocolate Lily』の裏側は小さな倉庫がいくつかと調合室が一つある。倉庫の大半は商品を収めておくための場所で、一つが備品倉庫になっている。この備品倉庫が、風通しが悪く、物のうえにさらに物を積み上げているありさまで、濡れた雑巾など放り込めば、たちどころにカビが繁殖してしまうのだ。

 途中洗面所で手だけ念入りに洗い流してから、店内のまっすぐな狭い通路を抜けて店の表側へ行く。リリーがカウンターのなかで煙草をふかしているところだった。

「お帰り。ありがとうね」

「いえ。丁度、手が空いていたので」

「そうかい。どうにもきょうは暇になりそうな予感がするんだ、ゆっくりしていいよ。もう少ししたらお昼にしよう」

 ロッキングチェアでゆったりと寛ぐリリーにはいと答える。丁度そのおり、彼女の予想に反して、店の扉が開く音がした。

 少しだけ寄り道させて。若い女の声である。少しして姿が見えたのは、赤色を薄めた色のワンピースを着た娘だった。ゆったりとした袖口から白のレースがのぞいており、きゅっと引き締めたウェストにはリボンの飾りがついている。上等な服だというのは、その生地の肌触りのよさそうなところからわかる。

 続いて見えたのは、若い男である。生地のしっかりとしたオフホワイトのコートを着ていて、こちらも身なりは上等だ。困ったような微笑を浮かべながら、娘の行動を見守っている。

 いらっしゃい。いつものように言ったリリーは、男を見るなり「あら、」と声をあげた。ロビンも、この男に見覚えがあった。

「お兄さん、世界大会の?」

「あぁ、はい」

「女の子連れてこんなところ来ちゃって。どんなのをお探し?」

「彼女は生徒ですよ」

 棚にいくつも並んだ小瓶を興味深そうに眺める娘を見やり、男が苦笑した。一方で娘がくすくすと笑う。

「ウォーカー先生? 私、ただの生徒だったの?」

「ジェシカ、」

 うふふ。娘が楽しげに笑って男の腕にしがみつく。

 カウンターのなか、リリーの後ろに佇んだまま、ロビンは二人の様子をじっと見つめる。娘が見ていたのは、気分を高揚させる芳香薬だ。男に甘えるようにくっつきながら、陳列棚のなかをのぞいている。

 色のない小瓶にはいった淡紅色の液体をじっくりと眺めて、そのラベルの小さな文字を目で追う。それは人を興奮させる。

「ね、先生、これとってもきれい」

「そうだね。でもだめ」

「じゃあこんなのは?」

 娘が手にしたのは、ほとんど色のないような液体のつまった瓶である。眠気を誘う芳香がするものだった。

「なんに使うつもりなんだい?」

 内緒よ。上機嫌な娘がカウンターに歩み寄る。金貨を出したのは男のほうだった。

「お優しいのね」

「どうでしょう」

 リリーのからかうような調子を意に介した様子もなく、男は手早く会計を済ませる。紙の袋に入った小瓶を抱えて、娘はすでに店の入り口のほうに立っていた。

 黙って見ていたロビンがたまらなくなったように口を開く。

「あなたのような人がどうして?」

「俺から言わせてみれば、君みたいなのがこうやってまぎれていることのほうが不思議だよ」

 深海を閉じ込めたような深い青色の目が、見透かしたように微笑む。ロビンは自分の耳にそっと触れた。

「そこを隠しても、誤魔化せないんじゃない? 持っているものの性質が違うんだ。気づく人は少なからずいるよ」

 そうして男は軽く会釈をして店をあとにする。

 扉が閉まって鈴の音が静まったころ、リリーがカウンターに頬杖をつきながらロビンを見上げた。

「どうしちゃったの? お客さんとお話なんて」

「少し気になっただけです。あの人、有名人ですから」

 それからしばらく、来店者はなかった。正午の少し前に軽い食事をとって、午後も店のなかでひたすらに客を待ったが、どうにもこの午後は、リリーの予感が的中してしまったらしかった。

 

 

 

 

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