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“白騎士団”物語 1-12

『天才の災難』

 ふわあ……。大きなあくびをこぼしながら、着なれた白衣姿のローディアは片手に大きな黒い革のバッグをさげて『現場』に入る。正午を少しすぎた、穏やかな日差しの昼下がりであった。北地域中央研究所の周囲をぐるりと囲うようにして直立不動の姿勢で監視を続けている自警団の面々に目礼だけして、煉瓦造りの建物を見上げた。

 その彼にこんにちはと声をかけたのは、ここの管理責任者、ディック・ヘンウッドであった。汚れのない白衣をぴしりと着て、入口からすうっと現れたのだ。

 あぁ、はい。気のない返事をしたローディアは、また一つあくびをこぼす。

「寝不足ですか?」

「少しだけ。それで、えっと……災害の原因究明、ってことだけど、」

 詳しくはなかで。ディックは建物のほうを片手で示す。すでにウォーカー博士も到着されているんですよ。そんなことを言いながら、つい先日訪れたばかりのエントランスへ入る。見える風景はさして変わらない。ただ、ところどころに自警団の人間が立っていることは目新しかった。

 最初のカウンターのところで大幅の布を一枚と安全のための手袋を受け取る。布の端を口でくわえながら黒色一色の手袋をはめて、最後に布のほうを三角巾として口元をおおう。

 階段の近くまで来ると、それでも鼻をつくような匂いがすることに気が付いた。

 消毒薬です。ディックが言う。

「我々にはこれが精一杯でした。こうやってすべてを殺すほか、どうするべきか」

「妥当じゃないか。死骸だってサンプルにはなる」

 階段をのぼるにつれて、異臭は増した。やがて壁などに黒いしみが点々と見え始めたころの踊り場で、真新しい白衣姿のトラヴィスと再会する。くだんの会議室は、もう半分階をのぼったところだ。

 彼は上の階を見上げながら、早かったんだねと一言。お前が急かすからだ、とは返さずに、ローディアは鞄を足元に置きつつトラヴィスの視線のさきを見やる。

 緑色の、あのときに蠢いていたものが床や天井、壁面にべったりと張り付いていた。しかし、鼓動はしていない。死んでいる。粘りついている場所は一様に黒く変色しており、焼け焦げたというよりは、腐敗しているような印象を受けた。

 ほかの棟でも、これと同じものが破裂して災害となったという話は、事前に送られてきた書簡で知っていた。この状況が、あと数か所あるのだ。

「精霊、だね。厄介なもんだ」

 トラヴィスが布越しのくぐもった声で言う。この手のものは好きになれないんだ。

 苦笑気味の彼の足元をちらりと見やる。細見のボトムスの下に、傷のあるような気配は微塵も感じられなかった。ローディアは何事もなかったかのように正面の災害跡に目を向けた。

「これ、いつまでも残しておかないほうがいいと思うけど。見た限り精霊の魔力で作り出したものっぽいし、切っ掛けがあれば動きそう」

「まったくの同意見です。が、なかなか、そうもいかないんですよ。トルーマン家の自警団と軍が調査に乗り出したのはご存じでしょう? 足並みがそろわなくて」

 バカか。言いそうになるのをぐっとこらえるローディアの隣で、トラヴィスが「状況を教えていただけますか」と一言。

「軍のロッド大尉からは早期撤去に賛同いただき、必要に応じて人員の派遣協力もいただきましたが、自警団のほうからは待ったがかかっています。現場の保存だそうで。一七時からの会合で、その件についても再度話し合おうかと」

 話し合いで解決するとは思えないけどね。皮肉っぽく言って、ローディアは鞄を開く。口が大きく、枠組みのしっかりとした仕組みの鞄だ。メスや注射器など、医者の道具と同じようなものが少しずつ入っている。はしのほうにはホルダーがあって、そこに小さな試験管がいくつか収められるようになっていた。試験管にはコルクの蓋がしてあるが、いまは中身がない。そこには、足元にも広がっている緑色のゲル状のものを入れるのだ。

 サンプルの採取を終えると、彼は立ち上がりながら背筋を伸ばした。

「あとは個人でやらせてもらってもいい?」

 申し訳ありません。ディックが困ったような顔をする。

「共同での調査ということですので、自警団の認可している場所でのみ活動していただかなければならないんです」

 彼はローディアが顔をしかめるのを見逃すこともなく、「しかし、」と続ける。

「個人の鞄に入っているものを取り上げる権利は我々にも自警団にもないはずですので、いつもどおり、研究道具を持ち歩いてくださって結構ですよ」

 これに笑ったのはトラヴィスだ。彼の足元にも、ローディアと同じような大きな鞄があり、ディックから似たことを言われたのは容易に想像できた。

「軍は、これに関してはなんて?」

「災害の原因たる物質に関して専門ではないため、すべてを施設関係者、および協力いただく研究者に一任する、と」

「彼ならそう言ってくれると思っていましたよ」

 トラヴィスが愉快そうな微笑を見せる。災害調査に派遣する部隊を指定したのは、まさに彼であった。

 それからは、『自警団の認可』している研究室の場所を案内された。この研究施設ではなく、もう少し街中に寄った場所である。トルーマン家所有の施設で、商人の使う倉庫がすぐ近くにあるのだ。

 倉庫といっても、外見はほかの建物とさして変わらない、ほかより少し大きいくらいの二、三階建ての建物である。それらが等間隔に並んだ通りがあり、その行き詰まりのほうに、外周をぐるりと囲った建物がある。入口には自警団の制服を着た男二人が立っており、鉄の門扉を開けるのも彼らに申し出なければならなかった。

 門のさきは、いよいよ研究施設である。魔力を遮断するための素材を練りこんだ白い壁の建物が構えているのだ。一つのフロアの天井が高くなっている二階建てであった。あまり大きくない入口を開くと、正面と左右とに通路が伸びていて、案内されたのは右側のほうだ。向こうの見えないガラスのはめ込まれた窓のあるだけの簡素な扉がすぐ手前にあって、そこからなかに入る。実験用の台が部屋中央にあり、壁際には空の薬品棚や、器具の詰め込まれているらしい棚などが押し付けられていた。

 ディックにそこまで連れて来られて、あきれ顔のトラヴィスとは対照的に、ローディアは顔をしかめる。

「なにもないじゃないか」

「発注すれば届ける、とのことですよ。必要な器具や薬品などはすべてトルーマン家の提供したものに限る、と言いつけられてしまいまして」

 ディックの返答に、ふざけるなと苛立ちまじりに返す。

「そんなんでなにができると思っているんだ、トルーマン家はバカの集まりか?」

「そう仰らず。対応策は用意しておりますので、きょうのところは納得していただきたい。とりあえずのところ、彼らに要求したい物品をリストアップしていただけますでしょうか。どんな贅沢も、許されますよ?」

 重い瞼のしたにあるディックの目がわずかにいたずらっぽく光る。あぁわかったよと、ローディアはひとまずの憤りを収めた。

 

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