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“白騎士団”物語 1-14

『少女の初仕事』

 ここ最近、トラヴィスはなにかと忙しいらしく、屋敷を離れていることが多い。最後に顔を合わせたのは、三日ほど前の夜も更けたころだった。大きな黒い鞄を片手に提げた彼とエントランスで軽く挨拶を交わしたきりである。

 トラヴィスはなにをしているのだろうかとシルヴィオに尋ねたりもしたが、あなたは知る必要もないことですと冷たくあしらわれた。魔術の知識がないというユウに簡単なことなら教えようと言っていたはずが、これではすっぽかされたような気持になってしまう。

 屋敷の自室で、ユウは窓を開け放ってため息をこぼした。きょうは空気の入れ替えをして簡単に掃除をすませて、それからなにをしようかと考える。まだ日はのぼったばかりのようで、外の空気はひんやりと心地いい具合であるし、これからの時間は有り余っているように思えた。

 ユウに与えられた部屋には、まだそれほど調度品がない。壁際に寄せられた大きめのベッドに、サイドテーブル程度である。クローゼットルームには、トラヴィスが用意してくれた衣服がいくらか収まっているが、がらんとした印象は拭えない。白いコートは、ベッドのヘッド部分にひっかけてあった。

 白色のワンピース姿で、ユウは窓から少しだけ身を乗り出してみる。見えるのは、広々と遠くまで続く森と、手前の枯れ果てた庭だ。空は晴れており、点々と浮かんだ雲が日差しを柔らかくしている。

 近くの倉庫から箒と雑巾とを持ってこないと――――そんなことを考えているうちに、部屋の扉がノックされた。誰だろうか、心当たりもないままでいると、「ユウ、」と呼びかける声があった。トラヴィスである。

「起きているかな? 少しだけ話がしたくって来たんだけれど、」

「はい、いま開けます」

 鍵などかけていないのだから入ってきてもらうこともできたが、ユウはそそくさと内側から扉を開いた。

 白いコートを着たトラヴィスが、柔和な微笑を浮かべて立っていた。

「ここ最近留守にしてごめんね。なにか不自由はなかった?」

「大丈夫ですよ。シルヴィオさんの料理、すごく美味しいですし」

 そう、よかった。トラヴィスが安堵したように息を吐く。

「もしよかったら、いまから大広間に来てもらいたいんだけれど、時間は大丈夫?」

「はい。なにかあったんですか?」

 ちょっとね、と曖昧にして笑うトラヴィスに連れられて、ユウは部屋を出る。窓は開け放したままであるが、雨が降る気配もないし、特に問題もないだろう。

 廊下を歩く途中、トラヴィスがなにかを話す様子はなかった。階段を下りてエントランスを抜けて大広間に入ると、先客がユウを見て「おはよー」と気さくに声をかける。フィルドだった。彼は長テーブルの適当な席に座り、対面に座る人物と何事か雑談に興じていたようだ。

 その雑談相手は、ユウとは初対面であった。線の細い人物で、一見した限りでは若い娘のようであるが、遅いと呟いた声は耳障りのいい男のものである。

 彼へ苦笑を返すトラヴィスは、フィルドの隣の椅子を引いてユウに座るよう促す。

「ごめんね。ローディアは、彼女と顔を合わせるのは初めてかな? ユウ、彼はローディア・レイ。ここの団員で、研究者としても活動している」

「あ、はい。ユウ・サヴァレです」

 ぴっと姿勢を正して一礼するが、彼の――ローディアの反応は素っ気なく、「あぁ、そう」の一言だけであった。気まずいものを覚えつつも椅子に座って、トラヴィスを見上げる。彼はごめんねと微笑んだ。

「いい子だけれど、愛想のないやつなんだ。年も近いし、よろしくしてあげて」

「子供でしょ。それより、用件を早くしてよ」

 眠たいようにゆっくりとした口調でローディアが急かす。トラヴィスは彼の隣へと腰かけ、そうだねぇと口を開いた。

「まず、ユウには謝らないといけないね。ここしばらく仕事が忙しくて、ろくになにも教えていない。申し訳ない。その埋め合わせじゃないけど、きょうか明日かで、少し出掛けよう。服や家具や、いろいろと買いそろえないといけないしね」

「え、そんな……私は別に、そういうのは……」

「遠慮はしないでほしいな。それと、ちょっとだけ、協力してほしいことがあるんだ」

 トラヴィスの深い青色の目が、含みを持ったように鈍く光ったような気がした。ユウは対面にいる彼から目をそらすことができずに、続く言葉を待つ。

「次の標的の下見に付き合ってほしい。俺のほうでもいくらかすすめているけれど、あまり状況は芳しくないんだ。お願いできるかな?」

「はい」

 考えることもせずに、ユウはうなずいていた。彼の目が断ることをさせなかった。

 不思議な力のある人だ、と思う。一生かけても、この人には逆らえないだろうと、無意識のうちに錯覚させられる。

「で、その標的に関してなんだけれど、精霊か、召喚魔術師か、いずれかが絡んでいるだろう。そっちのほうの調査を、ローディアとフィルドにお願いしたい。俺は、精霊は苦手でね」

「根拠は」

「ジョザイア・スーベル」

 不服そうに目を細めるローディアに、椅子の背凭れにからだを預けたトラヴィスが答える。

「北地域中央研究所の災害の主犯に見られている男だ。まあ、彼の持ち込んだものが災害につながったわけだから、そうともいえるのかもしれないね。そのジョザイア・スーベルが、たびたび今回の標的の家に出入りしていたこと、それから、なにかしらの取引をしていたことは俺のほうで確認しているんだよ」

 ユウにはわからない話だった。トラヴィスの話が、まるで異言語のようにさえ聞こえる。

「彼の持ち込んだものが精霊由来であって、それを預かった場所が標的の屋敷内であることはほぼ間違いない。とすれば、標的が精霊をかかえていても不思議はないわけだ。ここまではいいかい?」

 はい、と、フィルドが挙手をする。

「災害とか研究所とか、俺はよく知らないんだけど、なんのこと?」

「フィルド、新聞は読んだかい?」

 だいたい一週間くらい前に。フィルドが罰の悪そうに笑う。毎日読みなさい。トラヴィスが軽く叱るように言った。

 彼は少しばかり呆れた様子で、五日前に起きたという災害のことを話す。とある研究所で、多くの死傷者を出した災害だという。災害として公表されているが、実際はくだんのジョザイア・スーベルという男の持ち込んだ精霊由来の物質によるものだとのことだ。ついでに、トラヴィスとローディアが忙しくしている理由が、その災害調査に駆り出されているためだということもわかった。

 かなり噛み砕いた説明であったが、ユウにはまだよくわからない。精霊のくだりがぼんやりとしていて、納得できないのだ。しかしフィルドは違った。そっかあ、と、得心がいった様子を見せている。

「あの、精霊って、つまり、その……」

 精霊ってなんですか、と言いかけたのを呑み込む。そんな抽象的な質問では、トラヴィスを困らせるだけだと思ってしまった。

 しかし予想に反して、反応を示したのはローディアだった。

「精霊っていうのは、人と違う魔力を持ったものの総称で、形や物質としての性質は様々なんだ。人間でも個人で多少魔力の性質の差は出てくるけど、そんなのはたかが知れている範囲内であって、それらと大きく異なった性質の魔力を持っていれば、たとえ生物として人間と同等であっても精霊に分類できる」

 わかった? 確認の目を向けられるが、ユウは自信なさげにうなずくしかできなかった。難しい話は苦手なのだ。

 トラヴィスに目を向けても、彼はそれ以上の説明をする気配もない。

「でだ、その精霊のほうを二人に任せたい」

 任せるもなにも。口を開いたのはローディアだ。

「それなら研究所から直接俺達が依頼されているだろう」

「どうして成果のすべてを即座に開示しなきゃならない? それと、あの物質の究明に関して、俺は正式に調査から外されたよ。今朝決定してね。俺は今後、トルーマン家の側から災害の全体指揮にあたることになる」

 またもユウにはわからない話になってしまった。

 トルーマン家、とは、確か災害の起きた研究所のある土地を治める家だったはずで、それが確か、災害の原因究明のための指揮を執っていたはずで――――ついさきほどトラヴィスから説明されたことが頭のなかをぐるりと回る。彼女がそうやって混乱しているうちに、彼らはさらに話を進めていた。

 いつまでにこういったことをして、そのためになにを必要として、表向きの公表方法はどうして――――まるで頭に入ってこない内容を聞くともなしに聞き流しているうちに、話は以上かな、と、トラヴィスが告げる。

 解散していいよ。彼のその一言でローディアがのろのろと立ち上がる。あぁ、待ってと呼び止めたのはフィルドだ。

「このあと時間ある? ちょっと、聞こうと思ってたことがあって」

「夜にして。眠い」

 じゃあ。ローディアは気怠そうに大広間を出ていく。残されたフィルドは「仕方ないかあ」と笑っていた。

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