
“白騎士団”物語 1-15
『昼間のデート』
煉瓦造りの建物が並ぶ街並みの頭上を、太い橋が通り抜ける。橋のうえにも建物が並び、立体的な景観を生み出していた。下層には水路が多く流れ、各所にある街頭が昼間でも白色の光を放っている。屋敷の書庫にあったグロウフラワーと同じ輝きであると気づいたのは、橋の影になった場所に踏み込んだときであった。
ユウはトラヴィスに肩を抱かれつつ、上空にかかった橋の下の石畳を歩く。通りの幅はそれなりに広く、面している建物はどれも店らしい。室内を見せるガラス窓が広くとられていたり、入口のところに看板を掲げていたりもする。橋の影にならない場所にはテラスを設けた喫茶店などもあったが、ここにはそういった店構えは存在しなかった。
「歩き疲れていないかい?」
隣からトラヴィスが声をかけた。ユウはリボンの飾りがついた丈の短いブーツをちらりと見下ろす。
「大丈夫です。まだまだいけますよ」
「無理はしないでね」
微笑んだトラヴィスの顔を見る。優しげな青年そのものであった。
しばらく歩くうちに、細い路地に入る。橋の影はうせたが、建物同士が隣接しているうえに街頭もなくて薄暗い。人にみつかるのを警戒しているなら人通りの多い場所を行くべきはずが、彼はなにを考えているのか。ちらりと見上げても、その意図はわかりようもなかった。
入り組んだ道であった。細い路地が交差したり、ときおり開けた場所に出たり、また日陰を通り抜けたり。繰り返しているうちに、ようやく大きな通りとぶつかった。
どこかの建物の裏手のようだ。周囲にあるのは民家のようだが、目の前にあるのは長い鉄柵である。柵の向こうは深い緑色の茂みでよく見えないが、ずっとうえのほうには高い建物があるのがわかる。屋敷かなにかのようで、少し観察した具合では、ここは裏手ではなく側面のようだった。
「トルーマン家の屋敷だよ」
「ここでなにをするんですか?」
「少しね」
短く答えてトラヴィスはユウから離れる。鉄柵に歩み寄ったところで、しかし彼はなにかに気づいたように振り向いた。
どん、と、ユウの背中が押される。少しばかりよろめいた彼女は、自分のすぐ脇をすり抜けていく少年を見て、咄嗟にその腕をつかんだ。
少年がからだを引っ張られるようにして尻もちをつく。まだ一〇歳そこそこといった年頃の、土色の髪をした少年だ。よれよれになって埃に汚れたブラウスを着ていて、あまりいい暮らし向きでないことはすぐにわかる。
「あ、ごめんね、大丈夫?」
慌てて手を放したユウが少年の顔を覗き込むように膝を折る。しかし、少年はキッとユウを睨みつけると、立ち上がろうとして失敗する。彼の足首に、いつの間にか細い縄が巻き付いていたのだ。ほどこうともがくが結び目などはなく、むしろそれはするりと伸びて少年の手首にも絡みついた。
「泥棒はよくないよ、少年」
涼しげな声が言う。トラヴィスだ。彼は両手両足を拘束された少年を見下ろし、穏やかな笑みを浮かべている。
初めて〝白騎士団〟の屋敷に連れて行かれたときに自分を拘束していた縄と同じだということに、ユウはようやく気付いた。あれもトラヴィスが仕掛けたものだったのだ。
「ほどけよ」
少年のうなるような声。ぐっと奥歯をかみしめて、ともすればトラヴィスに噛みつきそうな気迫であった。
「ほどけば君は逃げるんだろう? それはできないよ」
あの。声をかけようとすると、トラヴィスが唇の前に人差し指を立てる。黙っていろ、ということだった。
「君はここでなにをしていたんだい? どうせなら人通りの多い場所でやったほうが、実入りもいいし逃げることだって難しくないだろう」
「うるせぇ」
「そう、じゃあ、俺達はこれで」
行こうか。声をかけられてユウは立ち上がる。トラヴィスに少年を解放する気はなさそうだ。
このままでいいんですか? 問いかけようとしたが、そのまえに少年が喚いた。どこに行くんだ、離せ、続く罵詈雑言に、トラヴィスは表情一つ変えないままであった。ユウが隣に並ぶと彼女の肩を抱いて、屋敷沿いの道を歩き出そうとする。それをとめたのはユウだ。
「さすがに、放っておくのはまずいんじゃ……」
「そうかい? さいわいここは民家も近いし、あの調子で騒いでいればそのうち誰かがみつけてくれるよ」
微笑を崩さないトラヴィスをじっと見つめ返す。彼は冗談だよと罰が悪そうに言った。
少年の傍らに立って、トラヴィスはそのまま彼を解放するのではなく小さく首をかしげた。
どうしたんですか。声をかけるが、返答はない。彼はすっと膝を折って、地面に落ちていたものを拾い上げた。
彼が目の前に掲げて見据えるのは、金貨のようだった。豊かな髭の男の横顔が彫刻されたそれは、まぎれもなくハルバルトの通貨である。
「あの、それ……」
「偽金だね。よくできているけど」
これをどこで手に入れたんだい? トラヴィスが少年を見下ろす。顔をしかめていた少年は、不服そうに口を開いた。
「そこの屋敷だよ」
「侵入したのかい?」
「裏のほうに抜け道がある」
「そうなんだ。ありがとう」
トラヴィスが満足気にうなずく。少年を拘束していた縄がするりとほどけて、彼を自由にした。
よたよたと立ち上がった途端に少年はトラヴィスの手元にある金貨を奪おうと手を伸ばすが、それもひらりと躱されてしまう。トラヴィスは少年の行動などお見通しといった具合だ。金貨を片手に握ると、コートの内側からすっと別の金貨を取り出した。
「これは本物と交換しよう。いいね?」
少年はなにも言わない。ひったくるようにトラヴィスから本物の金貨を受け取って、そのまま踵を返して細い道の入り組んだほうへと走り去った。
小さな姿を見送ってから、ユウはトラヴィスへ目を遣る。
「トラヴィスさん、それ、どうするんですか?」
「これで道をつなぐのさ。さあ、買い物に行こうか。ほしいものはあるかい?」
言いながら肩を抱かれて、ユウは首をかしげた。彼の言い方からするに、用はすんだらしいのだが、どうしてそうなったのかがわからなかった。
街のうえを通る橋には、大きな窓で店内の様子を見せる建物が多く連なっていた。地上にあるものよりかいくぶんか小ぶりではあるが、ここには喫茶店や専門料理店などもある。屋敷を出るまえに食事はとったが、砂糖菓子の甘い匂いにユウの腹はきゅうと小さくなった。
お茶にしようか。トラヴィスの言葉にはいとうなずく。連れて行かれたのは、テラスのある喫茶店であった。柱やテラス部分などには木材を使っていて、全体的に古めかしい印象があったが、木枠の扉を開けると、よく磨かれた床に天井からつりさげたオレンジ色の明かりがやんわりと反射しているほどであった。カウンターのなかには五〇を目前にしたくらいの歳の男がいて、いらっしゃいと人懐こい笑みを見せた。
店内にはカウンターの席が大半を占めている。木目調の丸テーブルは二つあるだけで、どちらも空席だった。トラヴィスは窓際のテーブルへユウを連れて行って、景色の見える場所の椅子を引いた。屋敷の大広間でシルヴィオがやったのと同じだ。対面にトラヴィスが腰を下ろすと、店主がきて黒色の冊子を差し出した。少しざらついた手触りの表紙に、銀色の箔押しがあって、これがメニューなのだとわかった。
冊子を開くと、文字だけが並んでいる。飲み物があって、次にサンドイッチなどの軽食だった。ページをめくるとケーキの種類がいくつかと、簡単な説明とがそえられていた。甘い匂いの正体は、これなのだ。
好きなものを選びな。トラヴィスが優しげに言った。じゃあ、と、ユウはクッキー生地のうえにクリームと焦がした砂糖とを乗せて、ベリー系の果物を添えたものをちょんと指さす。この店のオリジナルのデザートのようだった。
トラヴィスが店主に目を向ける。男はすぐにやってきた。注文したのは、ユウのデザートに二人分の紅茶だった。
デザートはクリームの量が多くて、小さなベリーがすっぱすぎると感じるくらいに甘かった。焦がした砂糖はぱりっとしていて歯ごたえがよく、クッキーの生地ともまた違った触感で口のなかを楽しませる。紅茶の相性もよかった。さっぱりとした香りで、しかしいつまでも尾を引かない風味がある。どれをとっても確かにおいしいが、屋敷で食べたシルヴィオのケーキを思い出すと、どこか物足りなさを感じずにはいられなかった。
喫茶店を出ると、次は被服の店に入った。ユウでもわかるほど高価なものがいくつも並べられているような店だった。トラヴィスの見立てで白いブラウスや、丈の長いふんわりとしたスカート、柔らかい生地の上着などをいくつか買った。軍にいたころには、まさか自分が着るとは夢にも思わなかったようなかわいらしいものばかりだ。
お金が……無一文のユウが言いかけると、トラヴィスは決まって「気にしないで」と応える。そのころには、たいがい会計がすませてあった。いつ支払ったのか、ユウには気づけないような手際のよさであった。確かに見ているはずなのに、そうと悟らせないのだ。
屋敷に戻ったのは、西の空が赤くなりはじめたころであった。ユウの自室に荷物を届けると、トラヴィスは「つきあってくれてありがとう」と彼女の頭を撫でて、どこかへと行ってしまった。