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“白騎士団”物語 1-16

『魔術について』

 きょうは簡単に魔術のことを教えようか。トラヴィスに街へ連れ出してもらった翌日の午前中、今度は彼に屋敷の書斎へ呼び出された。

 書斎は、書庫のすぐ隣の部屋にあって、ここにも本棚はあるが、書庫よりもずっと少ないし、インクや紙などを詰めた腰の高さほどの棚などもいくらか備わっている。部屋のほぼ中央には一人で使うには大きすぎる机が一つ置かれていた。机上にはランタンのなかに白い光のガラス玉のようなものが入ったのが置かれていて、それが部屋の中央を明るくしている。窓際はカーテンを引いていて、外からの光はほとんど入ってこない。

 ユウは机に向かって、トラヴィスの差し出した分厚い本を眺める。古いハードカバーで、細かい文字が多く書かれた最初のほうのページを開いているが、その内容はユウの頭のなかには入ってきそうもない。

「前にも話したけれど、魔術というのは、生き物の持っている力の根源の一種である魔力を使って起こした奇跡を、学問的に解釈、制御したものだ。つまるところ、魔術を使うには、根源たる魔力と、魔術のための最低限の知識とが必要ってことだね。いいかい?」

 ユウはこくこくとうなずく。机を挟んだ対面に立つトラヴィスは、その彼女の表情を見て小さく笑った。

「知識が必要な理由について、少し噛み砕いて教えようか。たとえば、剣の使い方を知らない人物がいたとする。彼に剣を渡して使わせようとしたところ、彼は剣の柄ではなく刃のほうを握って棍棒のように振り回そうとした――――知識がないから、誤った使い方をして自分を傷つけてしまったんだ。魔術もそうだよ、使い方を理解せず感覚だけを頼っていては、いずれ手痛い失敗をすることになる」

「いままで、そういうことはほとんど考えてきませんでした。軍でも、あんまり教わらなかったので」

「軍の教育の基本は『国のための礎となり人柱となれ』、だからね。こことは方針がまるで違うんだ」

 軍の養成学校にいたころのことを思い出す。すべては国のため――――教官がよく言っていた言葉だ。ユウはトラヴィスの話に納得せざるを得なかった。

「さて。では魔術の原理についてだけれど、」

 彼が授業を再開する。話ながら古本に書かれている該当部分を指さして、一つ一つをていねいに解説していった。

 トラヴィスは先生にむいている。話を聞きながら、ユウはそんなことを思う。筋道の立て方というのか、説明のタイミングというのか、ユウの理解するテンポをしっかりと心得ているようだった。

 そのうち、少し休憩しようか、と、トラヴィスが本を閉じた。ユウは彼の深い青色の目を見つめた。

「トラヴィスさん、すごいですね」

「どうしたの?」

「軍の教官より、ずっとわかりやすいです」

 言うと、彼が小さく噴き出したように笑う。

「それはありがとう。これでも、副業で家庭教師をやっているんだ。本業の人には敵わないかもしれないけど、それなりに自信はあるんだよ」

「トラヴィス先生ですね」

 トラヴィスがそうだねと穏やかに言う。年など自分と一〇も離れていないはずだが、ユウにはこの青年がずっと年上の人物に見えてならなかった。

 ふいに彼がユウの頭を柔らかく撫でる。

「ユウ、学校に行きたいと思うかい?」

「学校、ですか? あんまり、思わないです」

「そう。……いや、せっかくローディアと同い年だから、二人そろって少し通ってみれば、いい経験になるかと思って」

 そうなんですか。相槌を打ってから、ユウはあれ? と首をかしげる。小柄で童顔であるユウは、不本意ではあるが年相応に見られたことがない。一方、ローディアの年齢は知らないが、彼は大人びているし、フィルドの話ではかなり頭の回転の速い人物のようだった。だから、同い年と言われてピンとくるものがなかったのだ。それに、ユウはトラヴィスに年齢を明かしたことがない。

「ローディアさんって、いくつなんですか?」

「一八だよ。ユウと同い年。愛想のないやつだけど、仲良くしてあげてね」

 トラヴィスはユウの疑問などいつだって見透かしているくせに、いまは何事もないかのように答える。一〇分後にまた来るよ。そう言い残して、大きな本棚の影にある扉から部屋を出た。一人取り残されたユウは、分厚い本のうえに突っ伏す。古い紙と埃、それからインクの匂いがした。

 目を閉じながら、たったいまの講義の内容を思い出す。魔術の根源たる魔力を用いて起こされる奇跡。使い方を知らなければ、ときに自分を追い詰めることになる超自然的な力。

 魔術を使うのに必要なのは、なによりも意思だと思う。トラヴィスは開いたページの文字をおおい隠すように古い紙のうえに手を置いて言った。魔術は心臓を動かすような、無意識の領域で行われるものではなく、使う人間が望んだからこそ行使されるものだ――――彼の目はまっすぐにユウを見据えており、不思議な力を秘めているようだった。すっかり身動きのとれなくなったユウは、呼吸を潜めながら彼の視線の拘束が解かれるのを待った。

 初めてトラヴィスの目を見たときのことを思い出す。心地よく晴れた日だった。ハルバルト軍本部を囲う外壁が真昼の陽光を受けて古臭くくすんでいるのをあらわにしているなか、彼の目は磨き上げられた宝石のように見えた。古書に囲まれた書斎に来ても、それは変わらない。常にくすみなく、熟達された色合いでユウを見据えている。

 最初に名乗っておこう。〝白騎士団〟の屋敷に来て初めて自室へと案内されたとき、トラヴィスが言った。俺が〝白騎士団〟の団長、《クロック・ロック》だ。そのときに、疑問はあれど、あまり不思議には思えなかった。彼の目は、確かに《クロック・ロック》を名乗るだけの力を持っていた。

 とんとん、と、なにかが肩をたたく。ゆるりと目を開くと、下敷きにしていた鈍い赤色の表紙が見える。なかば眠っていたらしいことを知りながら、ユウはのろのろと上体を起こした。腰をかがめて視線を低くしたトラヴィスが微笑で迎える。

「寝起きのところ悪いんだけれど、講義の続きを始めてもいいかな?」

「あ、はいっ、すいませんでした」

 しゃんと姿勢を正すと、トラヴィスは小さく笑った。

「休憩時間になにをするかは自由だよ。本を枕にするのは、あまりよろしくないけどね」

 すいません。罰が悪くなって謝る。ユウは両手を膝のうえに乗せて、彼がページを開くのを見つめていた。すらりとした、きれいな手であった。こんな手でも、間違いなく人を殺しているのだ。

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