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〝白騎士団〟物語 1-6

氷の子

 結局、トラヴィスから武器を奪えなかった。ついでに空腹で倒れそうだ。ユウはふらふらとした足取りでバスタブを出てから、濡れた髪をタオルで拭う。基礎訓練後に大広間に向かったものの、昼食の準備をするシルヴィオにシャワーをすすめられて拒否できなかったのだ。汗だくで埃まみれのユウを見るや、彼は嫌悪感を隠そうともせずに顔をしかめて、「シャワールームまでご案内しましょうか」と言った。

 結局屋敷の二階にあるシャワールームへはトラヴィスが誘導してくれて、ついでに彼女のためにと先んじて用意してくれていたらしい替えの服まで渡された。

 タイル張りの床に素足で佇み、華奢な肩にタオルをかけながら洗面台の鏡に映った自分の顔をちらりと見る。母親似の空色の目がそこにあった。トラヴィスが綺麗だと言ってくれた目である。嬉しかったのかどうなのかは、自分でもよくわからない。しかし、あのときの彼の言葉が頭に染みついているのは確かだった。

 ユウは小さく頭を振ると、白い肌を伝う水滴も簡単に拭ってしまう。ところどころにある打身が少し痛んだが、これだけで済んだのなら安いものだ。彼女は明るい色合いのシャワーカーテンの対面にある作り付けの棚に目をやる。真新しい服が畳んで置いてあるのだ。

 トラヴィスの選んだのは淡い青色のワンピースで、衿のところに艶のある素材でできた細いリボンの飾りがある。裾のほうはふんわりと広がっていて、全体的に肌触りのいい生地でできていた。一緒にあるのは、白いボレロだ。フリルの飾りが袖口のアクセントになっている。

「私が着て変じゃないかな……」

 用意されたものをしっかりと着込んだ自分の体を見下ろしながら、ユウは困惑気味に呟いた。驚くべきことにサイズは丁度良かったのだが、こういった可愛らしい服を着る機会など、いままでまるでなかった。

 慣れない感覚ではあったが、それで空腹は誤魔化されない。キュウ、と、切なげな音がして、彼女は腹のあたりを軽く手で押さえた。

 汚れた服はコートに包んでしまって一度自室に置きに行ってから、急ぎ足で大広間を目指す。二階にある自室を出て長い廊下を進んで、エントランスにつながる幅広の階段を降りるのだ。その間、誰にも会わなければ、人のいるような気配もなかった。もともと〝白騎士団〟の八人で使うには、この屋敷は広すぎるのだ。そのくせ、ユウがしっかりと顔を合わせた団員は、団長のトラヴィスを除けば三人ほどだった。

 常に明りを絶やさないエントランスの野太い柱の横を通り過ぎ、大広間の扉を開ける。途端に、目の前を白い何かが横切って、きらきらと光る小さな粒がいくつも舞い上がった。え、と声をもらすうちに、冷気が頬を撫でる。影の向かったほうへ目を遣ると、頭の先から足の先までが真っ白で、雪で作った人形のような姿をした小さな子供がユウのすぐ隣で佇んでいた。まるで柔らかい氷が波打つようにきらきらと光る白い髪をしていて、くっきりと大きな目は雪雲のような灰色だ。〝白騎士団〟のコートを着ていて、作り物のような無表情でユウを見上げている。

 まだ一〇歳そこそこの子供に視線を合わせるように腰を折り、ユウは初めましてと笑いかける。子供は「ん」と小さく頷いただけだった。

 次にどう言葉をかけようかと迷ううちに、一つの足音が近づいてきた。子供の来た方向からだ。姿勢を戻して視線を向けると、シルヴィオがユウと子供とを見下ろしていた。

「スノウ、そこで何をしているんですか」

「うーん……」

 スノウと呼ばれた子供はシルヴィオをじっと見て小さく声をこぼしただけで答えない。それにもかかわらず、シルヴィオは呆れたふうもなくスノウの前に片膝をつくようにして屈んで、視線の位置を近づけた。

「部屋で待っているよう言ったはずですよ。わかりますね?」

「ん」

 スノウが小さくうなずく。そのままくるりと踵を返すと、どういうわけか、ユウの手の小指をちょんと握った。その小さな手は、氷のように冷たかった。

「えっと……どうしたの?」

「……」

 返答はない。ただ、まばたきもせずにじっとユウを見つめる二つの目があるばかりだ。

 スノウ、と、叱りつけるような強い語調でシルヴィオが言う。やはりスノウは答えないのだが、ユウの手を放すと、そのままエントランスのほうへとぱたぱたと走り出した。やがて、小さな背中はふわりと陽炎のように揺れて消えてしまう。魔術で移動したのだ。

「彼に会うのは初めてでしたか?」

 姿勢を正したシルヴィオと目が合う。基礎訓練から戻ったばかりのユウを見たときのような、嫌悪感を剥き出しにした顔つきではなかった。

「はい。すごく冷たいんですね、肌が」

「そういう子供です。さ、食事の用意が整いましたよ」

 そう言ってシルヴィオが示すのは、長テーブルの入り口よりの席だった。シルバーなどはすでに机上に揃えられている。

 彼は椅子を引いてユウに座るよう促す。それに戸惑ったのはユウだ。シルヴィオと座面とを交互に見て、おずおずと腰を下ろすと、ぐっと椅子を押された。彼を見上げても、もう視線も合わなかった。大広間奥手の比較的おとなしい扉から出て行ってしまう。

 それからほどなくして戻って来たシルヴィオの手には、ユウは見たこともないほど磨かれたトレーと食器に、見た目の整えられた前菜が乗せられていた。軍で配給される食べ物とは、明らかに異なるものだ。使われている野菜の艶や色合いが鮮やかである。ただし、量はずっと少ない。机上に置かれた小さな皿は、瑞々しい野菜の食感を楽しむうちにすぐに空いてしまう。

 次にはポタージュである。とろみのあるトマトベースで細かく切られた根菜をじっくりと煮込んだものだ。少し酸味のある味わいで、ユウにはわからない香草の香りが鼻を抜ける。

 続いて出されたのは、両手で包み込める程度のサイズの焼かれたパンだった。手でちぎってみると、ぱりっと焼かれた表面の内側にある生地が「むにぃ」と伸びる。口に入れるとほのかにバターの香りがして、噛み続けると甘味が増してゆくのがわかる。つい数日前、軍の食堂で硬くて味気ないパンを食べていたのが信じられないほどだ。

 それから小さなガラス製のデザートグラスに入った葡萄のソルベがあり、いよいよ肉料理であった。時折軍で出されるような、大きな塊を直火で豪快に焼き上げたようなものではなく、肉厚だが上品なほどに切られたものをレア程度に焼いたものだった。フォークを押し付けると肉汁が染み出て、切った断面はまだ赤味がある。一口大に切り分けた欠片を口に入れると、ソースの甘味のなかで、肉が溶けだすようであった。こんなものは、いままで食べたことがない。ゆっくりと大切に味わうが、やはり量としてはいくらか少なく感じずにはいられない。

 それから最後のデザートがある。ベリー系のフルーツを乗せてゼリーでコーティングしたタルトであった。タルト生地の上には甘いクリームを敷いていて、ユウを自然と笑顔にする。目尻をとろんとさせて、少しずつ食べるのだ。

 そのうち食器が片付いて、紅茶も飲み終えたころ、彼女は輝くような笑顔でシルヴィオを見遣った。

「すごく美味しかったです。ありがとうございます」

「あのお方の指示ですので」

 ティーセットを下げて戻ったばかりのシルヴィオが素っ気なく言う。彼は「このあとの予定を確認します」と、何事もなかったかのように続けた。

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