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〝白騎士団〟物語 1-5

召喚魔術師

 ハルバルトの都心付近には、一部施設を覗いては、固焼き粘土の壁に煉瓦を組み合わせた屋根の連なる街並みが続く。少し見上げれば山の見える小さな町もそれは変わらず、狭い道の上に橋がかかり、さらにそこに小さな建物が立ち並ぶ立体の構造をとっていた。ところどころには水路が走っていて、海に近いほうの街ではゴンドラが移動に使われることもある。

 フィルド・エイカーの来ている場所では、船の類いは見られないが、水路脇の古い木のベンチに腰かけて休む人や、その周辺で走り回る子供はちらほらと見受けられた。縦横無尽に走る道や水路を、幼い彼らは熟知しているようだった。

 フィルドは頭上を走る橋を見上げて、強い日差しに目を細めながら、そこに上れる階段を探す。水路を渡った向こう岸の、粘土の壁に塗料でコーヒー豆の絵を描いた喫茶店と背の高い建物との間にあった。幅が狭く、中程でぐるりと折り返すような形になっている階段だった。

 普段は山の中腹にある自宅で暮らし、その周辺に拡げた畑を耕している彼だが、こうして街へ出ては採れた植物や野菜の売買をすることもある。弦の木を編んだ大きな籠を背負って、そこに売るものや買ったものを詰めるのだ。きょうあるのは、農作物ではなく、龍の髭に、雨の木の実、それからオレンジと黄色のグロウフラワー、そしてその苗だった。

 籠を背負い直して階段を上りきり、色の薄い煉瓦を敷き詰めた道を地上と同じように歩く。左右には地上よりか幾分小さな建物が並んでいて、ささやかなテラスのあるレストランなども見受けられた。短くしたブロンドもぼさぼさで、泥汚れのとれなくなったよれよれの作業着姿のフィルドには入れないような立派な構えの店もある。

 真昼の陽光の照らし出す道をまっすぐに歩き、やがて見えてきた背の低い建物に目を向ける。深い茶色をした扉の木枠の上に掲げた黒地の小さな看板に、『Chocolate Lily』の白抜きの文字が躍っていた。表向きの窓はあるが、透明なガラスの内側には黒いレースのカーテンが引かれていて、店内を窺い知ることはできない。

 金色に塗られたドアノブをひねって扉を開けると、カランカランと鈴の音が響いた。背丈の高いフィルドではわずかに腰を折らなければくぐれない入り口の向こうには、噎せ返るような甘ったるい香りが充満していた。狭い店内には古びた木材で作った商品棚があり、コルクで栓のされたガラスの小瓶がいくつも陳列してある。いずれも中身は液体だが、色は様々であった。

 咳き込みそうになるのを抑えるようにフィルドが胸元を軽く叩いていると、店の奥、棚の影にかくれたカウンターのほうから「いらっしゃい」と女の声がした。

 床板を軋ませながら棚の間を通って腰の高さほどもないカウンターの前へ出る。年の頃三〇代半ばに見える女がロッキングチェアに腰かけて煙草をふかしていた。豊満な肉体のわりにきゅっとひきしまった腰元を露出させる彼女には、左腕がない。店主のリリー・イーグルトンであった。

「赤毛んところのか。よく来たね」

 豊かなブロンドが顔にまとわりつく彼女が、エメラルドをはめ込んだような目でフィルドを見遣る。それにはどこか困ったような苦笑を返す他なかった。

「師匠とは、ちょっと会ってないんですけどねぇ」

「そうかいそうかい。んで、持ってきたもん、見せてちょうだいよ。売りに来たんだろう?」

 煙草をくわえたリリーが指先でカウンターをこつこつと叩く。

 フィルドは一度籠を床に下ろし、そこに詰めてきたものを一つずつ取り出してゆく。まずは小さな木箱に詰めた雨の木の実だ。木の枝に房になっているのをそのまま採ってきている。水色の小さな実はうっすらと透き通っていて、少し揺らすとなかでちらちらと液体が揺れているように光るのだ。

 次にグロウフラワーを出す。先の尖った五枚の花弁を持つこの花は、薄暗い店内でぼんやりと淡く輝いた。リリーが「ほう」と声をもらす。

「また丁寧に育てたね。いい具合の色だよ」

 細い茎に手を伸ばし、彼女はオレンジの花を目の高さに掲げた。花弁にある小さな縦向きの筋に目を細め、次にその匂いをかぐ。

 うっとりと目を細める彼女に、フィルドは穏やかに声をかける。

「苗もありますよ」

「うちで買わせてもらうよ。雨の木の実もね。重宝するんだ、これ」

 言うなり、リリーはカウンターのさらに奥のほう、カーテンで仕切られた暗がりへ目を向ける。

「ロビン、おいで。綺麗な花があるよ」

 聞き慣れない名前にフィルドが首を傾げる。この店にはけっこうな頻度で売りに来ているが、確かずっとリリーが一人で経営していたはずだ。夫や子供がいるというような話も聞いていない。

 やがてカーテンが静かに、それこそ物音一つさせずに開いた。出てきたのは、青年のようだった。

 褐色の肌に、赤銅色の目をした若い男だ。フィルドとそう変わらない年頃かもしれない。長い髪は新緑の色をしていて、まるでそこに若葉が柔らかく生い茂っているかのような印象を受ける。人とは違うのだな、ということはすぐにわかった。先の尖った耳も爪も、人間らしくない。

「この前からうちで働き始めた新人でね。ロバート・テイラーだよ、ロビンって呼んでやって」

「ロビン……。うん、よろしくねぇ」

 リリーの紹介に合わせて軽く会釈する青年、ロビンに笑顔で片手を差し出す。彼のことを詮索するつもりは毛頭なかった。

 フィルドより頭半分ほど背丈の低い彼は、よろしくと応じて手を受け取る。そのときに少しばかり笑ったように見えたのは気のせいだったのか、フィルドが首を傾げる間にロビンはまた無感動そうな顔つきに戻っていた。

 ただ、フィルドにはそれを気にとめている余裕はなかった。ほら次、と、商品を急かすリリーの声が聞こえたのだ。残りのグロウフラワーにその苗と、雨の木の実をカウンターの上にずらりと並べる。ついでに糸巻に巻き取った龍の髭も出したら、そっちも買い取ると言われた。

 数を数えてカウンターの下の棚にある麻袋から金貨を取り出しながら、リリーは「そういえば、」と口を開いた。

「あんた聞いたかい? 今年の『世界大会』に召集されるメンバーが決まった、って」

「え? いや、俺はなんにも。研究とか、よくわからないし」

「昨日の夕方に若い子が新聞捲いてたんだけど、まあ山に篭ってちゃ知らないかね。ハルバルトからは二人だって」

 リリーの世間話に「へぇ、」と相槌を打つ。

 フィルドも『世界大会』そのものについては知っていた。世界中から取り立てて優秀だとされる研究者を集めて、日頃の研究成果の交換を行う交流会である。分野を仕切らず、各カテゴリにおいての第一人者やそれに近い人を集めるのだ。学問に熱心に打ち込んでいる者ならば強い興味を示すのもわかるが、しかし彼はその手のことはいまいちピンとこなかった。

 金貨一〇枚を受け取って麻袋に詰ながら、フィルドは呆れたような顔のリリーを見ていた。

「あんたも、召喚魔術使うんなら多少は知っておきな。ちなみに今年もローディア・レイが行くそうよ。あとは、一年振りにトラヴィス・ウォーカーが選ばれたって。若手二人ってのは嬉しいもんだね。特にローディア・レイのほうは、私も応援してんの」

「そうなんですか」

「そう。可愛い顔してるしね。見る?」

 言ったときには既にリリーは壁際にあるサイドテーブルの上に放り出されたままの新聞を手に取っていた。分厚くなった紙の束は、研究者向けのものでもなく、一般に広く読まれているもので間違いない。広げた最初のページには、『若き天才』の見出しと一緒に、二枚の写真があった。片方は穏やかな微笑を浮かべる好青年の写真で、もう片方は対照的に仏頂面の人物の写真である。リリーの示すのは、仏頂面のほうだった。

 少し見た具合では、若い娘のようにも思える。ゆるやかに波打つ髪は長く、まつ毛の長い目元は伏せられがちであった。どこか儚げにも見える佇まいは、淡い月の光を連想させる。

「綺麗な人ですね、二人とも」

 唐突に声がして、フィルドは顔を上げた。雨の木の実の入った木箱を大事そうに抱えたロビンが、紙面を見下ろしていた。

 すぐに目の合った彼は軽く会釈をして店の奥に引っ込む。ぽつん、ぽつん、と、雨の木の実揺れる音だけが響いた。

「リリーさん、あの人、」

「見ての通り。あんたならわかるでしょ」

 ぴしゃりと言われて、返す言葉がなかった。

「あの子は働き者だし、何より賢いよ。それに勉強熱心だ」

 フィルドを見ずに言うリリーは銀色の細い龍の髭を手に取り、その表面を指先で撫でる。細くしなやかで丈夫な糸であるから龍の髭と呼ばれるが、その実、雪綿虫と呼ばれる精霊の一種の繭から紡いだ糸であった。

「それにしても綺麗な糸だね。こういうのが採れるのは、召喚魔術師の特権ってところかね」

 フィルドは曖昧に笑って首を傾げた。召喚魔術を使って雪綿虫を喚び集めたわけではなかった。

「それじゃ、俺は行きますねぇ」

 言いながらすっかり軽くなった籠を背負う。赤毛によろしくね、と、リリーの声が聞こえた。

 身を屈めて店を出ると、新鮮な風が頬を撫でる。小さく息を吸って吐き出すと、向かいの店から出てくる男に目がとまった。やや猫背気味であるが、体躯のいい若者である。前髪が目元をおおっていて顔立ちはわからないが、白衣を着て黒い革の大きなカバンを片手に下げている姿には見覚えがあった。

 通りを行き交う人の間を縫って、男のもとへ歩み寄る。その間に向こうもフィルドに気づいたようだった。店の入り口脇のひさしの下に入ってフィルドを待つように佇んでいる。

「オウガ、偶然だねぇ」

「往診のついでにな」

 ともすれば雑踏に掻き消されそうな、ぼそぼそと聞き取りにくい小さな声が言う。男――オウガ・ノヴァーリスは「お前は、」と、フィルドを見上げる。

「俺はいろいろ売りに来てただけ。あのさ、いまから診療所に戻るの?」

「いや、一度屋敷に」

「例のあの子の治療? 新しく入った」

 オウガが首を左右に振る。ブロンドがかすかに揺れたが、それでも彼の顔は窺い知れなかった。

「もう、恢復してる」

「そっかあ。じゃあ、念のためってとこ?」

 今度はこくりと頷いた。そのオウガの肩にぽんと気安く手を置き、フィルドは明るい笑顔を振りまく。

「じゃ、頑張れぇ」

 ん、オウガがうなずく。その彼に背を向け、フィルドは来た道とは反対方向へと向かった。持って来たものは運よく粗方売れてしまったが、一方で買わなければならないものもあるのだ。この先は他の道と交差していて、そこなら魔術的な加工の施された道具などの専門店がいくらかそろっているのだ。

 人の流れにそうようにして歩くうちに、どんっと、後ろからの衝撃があって軽くよろけた。直後に、すぐ脇を子供が足をもつれさせそうにしながら走って行く。裾がぼろくなったよれよれのブラウスを着た土色の髪の少年だ。彼がぶつかったのだろう。ついでに、買い物のためにあらかじめ用意していたポケットの金も盗られたようだった。

「やられちゃったなあ……」

 あっという間に人混みに紛れてしまった少年の手際のよさに呆れるように苦笑をこぼす。フィルドは別段怒るでもなく、少年を追いかけるでもなく、とまっていた足をまた動かした。

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