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〝白騎士団〟物語 1-4

基礎訓練

 〝白騎士団〟拠点の屋敷は随分と大きなものだった。まず背の高い鉄の門扉を抜けると、そこには広々とした庭が広がっていて、水の枯れた噴水が中央にオブジェとして聳える。敷石の間からは細かな雑草が生えていて、以前は緑色の葉を豊かに茂らせていたであろう木々はすっかり枯れ果てている。

 建物自体は左右対称の作りをしていて、外壁を蔦が覆っていて古い印象はあるものの、尖塔のある立派な構えであった。窓の配置からするに高さは三階までなのだろうが、階層の一つ一つの天上が高くなっていて、建物全体の高さもかなりのものだ。敷地の外周は深い森が囲っており、数日前に軍を迎撃した痕跡はすっかりと消えていた。

 屋敷の外壁に沿って歩きながら、ユウは「なんだかすごいですね」と呟くように言った。彼女の先を行くのは、背の高い痩せ型の男であった。裾が足首まで届く〝白騎士団〟の白いコートを着てはいるが、フードはかぶっていなかった。

 濁りのないブロンドを顔にかからないようしっかりと整えた人物で、刃物で切れ目でも入れたかのような鋭い碧眼にシンプルな眼鏡をかけている。鼻筋が高く色の白い男だ。エントランスでシルヴィオ・スペンサーと名乗ったきり、無駄口を一切挟まずにユウをここまで誘導している。

 トラヴィスの話では、普段はフリーの使用人としての仕事をこなしているとのことだったが、それ以上のことは教えてもらえなかった。少し見た具合では二〇代半ばといったところだが、徹底して無駄を省いて洗練された所作は、そう若くはなかった。

 屋敷を囲う鉄柵の内側に沿って歩く。本館を回り込んだあたりになると、白い外壁の小さな建物が見えた。小さな、といっても屋敷本館と比較してのことで、生活に必要なものを持ち込めばそこで暮らすことも容易なほどである。

 地面から一段高いところにある入口は簡素なもので、深い色合いの木材を組み合わせてできている。彫刻のような意匠も控え目で、ひさしの先のほうにある銀色の吊り飾りが目についた。正面一階には窓らしい窓は見当たらない。二階部分に等間隔に艶消しガラスが並んでいた。

 シルヴィオは扉の前に立つと、その表面に手を置いて何事かを唱える。ユウにはそれが聞き取れなかった。

 ガチャリと重たい音がする。シルヴィオが扉から手を離して一歩下がると、それは独りでに開いた。分厚い扉だった。

 建物のなかは暗く、鉄と木の匂いが混ざり合っていた。

 シルヴィオがパチンと指を鳴らす。それを合図に、入り口のほうから徐々に明りが灯ってゆく。壁に並んだ燭台に火が灯ったのだ。

 ようやく見えたのは、一つの部屋だった。二階にも部屋があるのではなく、梯子で上った先に足場があって、それが部屋の壁際を囲っているだけであった。

 ここは倉庫、というよりも武器庫だろうか。棚や台座には様々な形の剣や槍、あるいは銃などが置かれていた。そのどれもが金具と鎖とで固定されていて、簡単には持ち出せなくなっている。

 壁際に置かれた固定用の台座に立てかけられた数本の剣を見る。かなり古いものだった。鞘は黒ずんでいて柄の部分も久しく握られていないのがわかる。

 ――『ユウの刀は預からせてもらうね』

 部屋に案内されたとき、トラヴィスに言われたことだ。

 ――『少しの間だけだよ、すぐに返す』

 かわりと言うように彼は白いコートをユウに差し出した。〝白騎士団〟の団服だった。袖を通すと少しばかりサイズが大きい。丁度のものをあつらえるのは、もう少しだけ待ってほしいと言われた。

 彼は、自分が〝白騎士団〟の団長、《クロック・ロック》だと言っていたことも思い出す。いまユウの目の前にいるシルヴィオよりも若い外見の男が、五〇年前から存在している《クロック・ロック》であるということに疑問は覚えたが、追及はできなかった。

「好きな武器を選んでください」

 火の灯ったランタンを片手に、シルヴィオが言った。

「私の刀は……」

「ここにはありません」

 素っ気ない口調であった。

 ユウは扉の閉まる音を背後に聞きながら、展示台のようにして上向きに置かれている棚の脇を通って、剣のある台座の前に立つ。五本、立て掛けられている。そのなかから、細身で、それなりに刀身の長さがあるものを探した。できるだけ、いままで使っていたものに近い形を探すのだ。

 右端のものは刃が幅広すぎる。その隣は細身だが、むしろ細すぎる。さらに隣は銀の鞘に青や薄水色の宝石が埋め込まれていて装飾が華美すぎる。その次、これは、刃先を地面についたとき、丁度柄の部分がユウの腰のあたりにきそうな長さになっていて、刀身の幅から見てもそれほど重たくはならないだろう。

「これをお願いします」

 指差した剣に、ランタンを入口脇の簡素なミニテーブルに置いたシルヴィオが手を伸ばす。彼が柄を握ると、剣を拘束していた金具が外れて鎖が下に落ちた。

「扱いにはくれぐれも注意するように」

 鞘の中程を片手で支えつつ、彼は両手で剣を差し出した。

 受け取ると、ずっしりと重たい。取り回しに不便するような重量ではなく、重心を安定させるのに丁度いい重さである。

 ユウはありがとうございますと軽く会釈する。シルヴィオはそれには応えなかった。

「このあとの予定は、一一時には中庭で《クロック・ロック》との基礎訓練、一二時に大広間で昼食をとって一三時には書斎で魔術知識の確認となっております。場所はわかりますか?」

「わかりません」

「案内します」

 まるでユウの返答を予測していたかのような切り替えしの早さであった。シルヴィオはさっさと踵を返すと、扉を押し開けて待つ。

 会釈をしつつユウが外に出る。なんの気なしに見上げた空は雲がかかっていて薄暗かった。

 背後で扉がしまる。ガチャリと重たい音がして、シルヴィオがユウの斜め半歩前に立つ。こちらですと、彼は素っ気なく言って屋敷の表側へと向かった。

 

 

 屋敷のエントランスを突っ切って階段脇の小さな扉を開けると、そこが中庭になっていた。屋敷外壁に囲われた場所で、高い位置には窓などが見えるが、四方は反り立った壁に覆われていた。

 足元は敷石であるが、その隙間からかすかに雑草が除く。隅のほうには深緑色の苔が生えていた。

 広さとしては、大広間の四分の一程度だろうか。トラヴィスが革靴の底で地面を軽く叩くと、乾いた音が反響した。

 白いコートを着た彼の手元には、両腕を広げたよりやや短い程度の刃渡りの剣がある。細身でこれといった装飾もなく、取回しやすそうな獲物であった。

 彼と距離を取りつつ対面するユウは、先刻倉庫から選んだ剣を両手で体の前にしっかりと構える。少しサイズの大きい白のコートを着て、足を肩幅と同じくらいに開く。膝は少しだけ曲げて、いつでも飛び出せるように身構えた。

 魔術による防護膜が、トラヴィスを中心に虹色の波紋を広げて中庭全体を走る。基礎訓練を始めるときに施したのが、ほんの数十分で効力を失ってしまっていたようだ。

「補強もできたし、いつでもおいで」

 トラヴィスが穏やかに笑いかける。彼に疲労の様子は見られなかった。

 はい、と答えて、ユウは強く地面を蹴りつけた。大きく一歩を踏み込み、彼との距離を一気に詰める。肘を引いて上体をひねり、切っ先で彼を貫くように体重を乗せた。

 目の前で白い姿が幻のようにゆがんで消える。どこに行ったのか、考えるまでもなく、右足を軸にして振り向きざまに剣を振り抜いた。ギュンッと空を切る音が鋭く響く。両手で柄をぐっと握り込んで、さらに背後へ向かって下段からの切り上げ。刀身はむなしく大気を切り裂いた。

 どこに、と、視線を巡らそうとすると、ふいに頬に何かが触れた。少し冷たい感触。背後からやんわりと包み込むようにして撫でられる。

「残念、はずれだね」

 真後ろから声がした。トラヴィスの甘い声だ。

 ビクリと肩が震えるが、振り向くことはできない。すっと手が引いて、小さく笑う声がした。

「魔術、使わないんだね。禁止していないし、俺は使っているけど」

「苦手なんです。いつもの刀ならできるんですけど」

「もったいないね、力はあるのに」

 そうなんですか――――言おうとして、ユウは視界がぐらりと揺れたのに気が付いた。何事かはわからない。足元から地面が消えて、見えていたはずの壁は灰色の空にすり替わる。背中を何かに殴りつけられたような気がしたときには、首元にひんやりとした気配があった。

 剣を持ち上げようにも腕が、そもそも体が動かない。まるで地面にユウを縫い付けるかのように、鈍い色の鎖が四肢に絡みついていた。首元の気配は、これだった。

 何が起きたのかはわからなかったが、あまりにもあっさりと転がされたうえに、わずかの間に拘束までされたことは理解できた。ユウの体の隣に佇むトラヴィスは握った剣の切っ先を彼女の胸元、丁度心臓の真上のあたりに向けていた。

「誰も終わりにするとは言っていないだろう?」

 トラヴィスの笑顔と目が合う。そうでした、と、ユウは罰が悪そうに返すしかなかった。

「降参です。完全に油断した私の負けですね」

 苦笑気味に言うと、あっさりと胸の前の剣がどかされる。差し出されたトラヴィスの手を受け取ると、ぐっと強い力で引っ張り立たされた。そのまま彼の腕のなかにすとんと収まる。細身な青年だと思っていたが、しっかりとした胸板がそこにあった。

 少し遊びをしようか――――間近で声がした。え、と、聞き返したときには右手に握っていたはずの剣がなくなっていて、トラヴィスも数歩離れた場所にいた。彼の手元には、いままで使っていたのとは別に、ユウの持っていたはずの獲物もある。

 彼はもともと持っていたほうの剣をコートの下の鞘に納めて、残る一本をユウの視線の高さに掲げて見せる。

「これを俺から奪ってごらん。俺は魔術も使わないし、攻撃もしないから」

 おいで、と、トラヴィスの優しい声が言う。

 ユウは一度、軽くなった自分の手元へ視線を落とし、それからまた正面を見据える。彼が特に構えないのは既に知っていた。ユウのような小娘相手なら、身構えるまでもなくあしらえてしまうのだ。

 小さく息を吸って吐き出し、ユウは両足を肩幅程度に開く。ほんのわずかに腰を落として重心を下げて、強く地面を蹴りつけた。

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