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“白騎士団”物語 1-32

​『赤い大鷲』

 焼けただれた建物の外壁の向こうに白い影を見つける。崩れた壁一枚、柱一つの向こうに身を滑り込ませる。建物外周を警戒していたツカサは抜き身の刀を低く構えて地を蹴った。外壁を回り込んで壊れた入口から建物のなかを覗いて、ひらりと見えた〝白騎士団〟の姿を探す。誰もいはしない。

 研究棟に現れた〝白騎士団〟は一人だった。そのたった一人に翻弄されて、部隊は施設敷地内を右往左往せざるを得なくなっている。

 消えては現れる影はまるで幻のようであった。深追いはするな。マライアの命令のもと散開したはいいが、一向に向かってこない敵をただ目で追うだけなのがもどかしかった。

 ツカサは狭い通路をゆっくりと歩きながら、〝白騎士団〟を探す。通路同士のぶつかるところでは壁際に背を預けて死角を確認した。さきほど見えた白いコートは、やはり幻だったのではなかろうか。

 訝しがりながら少しずつ進んでいくうちに、開けた場所に出る。研究職員の休憩スペースのようで、倒れたテーブルや焼かれたソファなどがいくつもあった。そのなかに、白い姿がある。切先のほうに重心のある重たそうな剣を持って、ツカサを待ち構えていた。

 刀をからだの前で構える。柄を両手でしっかり握って、鋭く砥がれた刃ごしに〝白騎士団〟を睨んだ。

 さきに動いたのは〝白騎士団〟であった。重たいからだで一歩を踏み込み、ツカサに迫る。振り上げられた剣の軌道から逃れるように半身になり、ツカサは刀の切先を下げた。相手の間合いの内側に身を滑り込ませて、翻した白刃で下から喉元を狙う。

 ずしりと重たい衝撃が脇腹にあたる。からだをひねった〝白騎士団〟のブーツに蹴られていた。刀を握る手の片方を自由にして、崩れそうになる体制を立て直す。直後に正面に迫った剣を、細い刀身で受け止めた。

 〝白騎士団〟は体格のいい男に見える。力も強い。ツカサは衝突した刃を刀のゆるやかな曲線に乗せるようにして流して、ぐっと拳を握った。男が後方に退く。追いかけるように大きく踏み込んで、次は刀を地面と水平にして突き立てた。狙うのは胴体である。が、今度はそれが剣の重たい部分で受け止められる。弾かれるように距離を取ろうとすると、目の前で〝白騎士団〟の形がゆがんだ。転移魔術だ。

 また見失うのは厄介だ。追撃を仕掛けようと重心を低く落とし剣先を下に向けて構えたところで、びゅんと風を切る鋭い音がした。男は姿を消さず、剣を振り上げていた。逃れることも、いまから白刃を受けとめることも難しい。

 目前に刃が迫る。思い浮かべたのは、ジェイコブ・ガネル少尉が心臓を貫かれた姿だった。覚悟を決めるべきか。ゆっくりと流れる時間のなかで迷っていると、唐突に頬を打たれたような気がした。先刻よりも尖った風切り音が耳元をかすめて、剣の刃を殴りつける。

 剣が男の手から離れて飛び上がるのと同じように、ツカサのからだが後ろへ突き飛ばされる。なすすべもなく転んだ彼の前で、赤い大鷲を描いた外套が広がった。

 ツカサはその背中を知っていた。身の丈ほどもありそうな大剣を片手に構えるところを、幾度か見ている。

 弾き飛ばされた剣がけたたましい音とともに床に転がる。武器を失った〝白騎士団〟は逃げるでもなく、腰を低く身構えた。一方で、ツカサを突き飛ばした大鷲の人物は大剣を悠然と片手に提げている。

 大尉。立ち上がったツカサが声をかけようとすると、その人物は振り向きもせずにさがってろと一言告げた。ぶっきらぼうな声だった。

 反論する余地などなく、ツカサは刀を鞘に納める。〝白騎士団〟に背を向けないようにしつつ後退したところで、彼の――フェルの低い声が聞こえた。

「誰だ、お前は」

 ツカサは眉をひそめる。聞いたところで、〝白騎士団〟が答えるはずもない。当然、返答などありはしなかった。

 フェルが大剣をからだの正面に構えた。それだけ見届けて、ツカサはそっとその場を離れる。増援を呼ぶつもりだった。〝白騎士団〟の視界からはずれたところで踵を返して、マライアかほかの兵士を探す。

 後方でなにかが爆発するような音がしたのを無視して、倒れた棚や割れたガラスで散らかる狭い通路を走った。窓はないが、一部の部屋は通路に面したところがガラス張りになっていたり、あるいは棚の戸がガラスをはめ込んだ作りになっていた。それらが砕けて散らばり、水と一緒になってランタンの光を反射している。

 マライアはすぐに見つかった。外に出ようとしたところで遭遇した。もともと近くを巡回していたのが、いましがたの音を聞きつけてきたようだった。

「なにがあったの」

 早口な彼女に、フェルが〝白騎士団〟と応戦中であることを伝える。案内しな。言われるがまま、ツカサは来たばかりのところを引き返した。

 開けた休憩スペースに戻るまでに、ほんの数分とかからなかったはずだ。ツカサがマライアを伴ってそこへ入ったとき、すでに事態は片付いていた。燃えにくいはずの床材に火がついていて、そのなかほどに大剣を片手に携えたフェルが立っている。見たところ傷もない。彼の足元には、白いコートの男が寝ていた。

「殺しちゃったの……?」

 マライアが眉をしかめる。フェルは平然とうなずき返す。

「ほかに方法がなかった。逃げられるよりかは、マシだろ」

 それより。絶句するマライアを前に、フェルはブーツのつま先で死体の脇を小突いた。

「見てみろ、こいつの顔」

 マライアが前に進み出る。ツカサはその半歩後ろから、かがんだ彼女の手元を覗き込んだ。白いフードがそっと取り除かれて現れたのは、目を見開いて血の気を失っている男の顔であった。うそでしょ、マライアの呟いた声が聞こえる。

「ホワイトリー少佐が、どうして……」

「つまり、まあ、そういうことだろ。ちょうど、昨日から誰も見てねぇって話だし」

 フェルに別段困惑した様子はない。この男はなにが起きても決して感情を昂ぶらせないのだと、ツカサにそう思わせた。

 顔をしかめていたマライアだが、長く息を吐き出すと、フェルへと目を向ける。

「それで、どうするの? 隊長」

「ホワイトリー少佐の件は口外するな。どうせ箝口令が出されるんだ。それと、俺達はここで待機だ。トルーマンの屋敷はアントンに任せてある」

 任せてあるって……。ツカサは信じられないような気持で口を開いた。

「屋敷にはほかの〝白騎士団〟がいるんじゃないですか? そうでなくても、これから襲われる可能性は充分にあると思いますけど」

 フェルが肩にかけた革のベルトでもって大剣を背中に背負う。目立った刃こぼれのない大剣は、これまでいかにうまく使われてきたのかを物語っていた。へたに扱えば、刃物はすぐにだめになってしまう。

「〝白騎士団〟ならとっくに来てる。それを承知でアントンに任せた。これがあいつの覚悟で、まっとうするべきことなんだろうよ」

 眉根を寄せるツカサの前で、フェルは全員集めろとマライアに指示を出す。はいよ。マライアが当然のように応じる。彼女は軍服の上着の内側に手を差し入れると、しわだらけになった紙片を一枚取り出した。手のひら程度の大きさの薄青色の紙だ。赤い紙は警告、薄青色の紙は伝令、白い紙は報告だった。

 マライアが広げた紙に向かって全部隊員へ集合の旨を告げると、紙片に文字が浮かび上がる。まるであぶり出しのようだった。

 ふっと息を吹きかける。紙はくしゃりと音を立てて折りたたまれ、そのままマライアの手を離れた。魔術だった。これがフェルにできないことは、すでにツカサも知っていることである。彼の知る限り、魔術が使えないのはフェルただ一人だけであった。

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