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“白騎士団”物語 1-33

​『約束の夜』

 片手に小振りな剣を持ったトラヴィスに連れられて転移魔術で乗り込んだのは、豪奢な建物のなかであった。広々としていて、磨かれたガラスから屋敷の裏手の夜闇が黒々と見える回廊である。壁際には絵画や、あるいは大理石の台座に置かれた青磁の壺などがあった。天井から吊り下げられた明かりが足元までも明るく照らしていた。

 遠くから怒号が聞こえる。自警団が応戦しているようだったが、状況は一向に変わらないようなのは、トラヴィスの様子から窺い知れた。

 ユウはフードのしたから隣の彼を見る。廊下の中央を悠然と歩くさまは、すっかり剣の存在をぼやかしてしまうほどで、人を殺しに来たとは思えぬほどに優雅であった。

 トラヴィスは一つのドアの前で立ち止まる。格子状の彫刻のされたドアで、金色のドアノブは優美な曲線を描く。掴まえると手にすんなり収まる。

 ユウは愛刀を静かに抜いて、トラヴィスの半歩後ろで戦いに備える。すぐには殺さず、指示あるまで待て。転移魔術の直前に言われた言葉を思い出した、

 思いのほか、ドアは静かに開かれる。広い部屋だった。奥のほうには大きなベッドが置かれ、その近くに庭を眺められる窓がある。窓辺には小さなシェルフを置いて、そのうえに陶磁の人形や香水瓶が飾ってあった。ほど近くにあるのは、ビロードの張られた大きなソファであった。ランタンの置かれたサイドテーブルを脇に並べて、ソファのうえには寛げるようにクッションをいくつも積んである。若い娘の部屋であることは容易に想像できた。しかし人はいない。

 トラヴィスはベッドのすぐ近くにあるドアへと歩み寄る。開いたさきは、クローゼットルームであった。大量の衣装が規則正しく吊り下げられ、その奥の深い影になったところに身をひそませて震える娘がいる。

 どうしてきょうなの。かすかな声がユウにも聞こえた。その意味はわからない。娘の年頃はユウとたいして変わらないように見える。華やかなドレスがよく似合う、きれいな娘だ。

 トラヴィスが一歩を踏み出すと、娘は逃げ場のない場所から逃れるようにクローゼットルームを飛び出す。その途中、すれ違いざまに片腕をトラヴィスが捕まえた。離してと暴れる娘を壁際にたたきつけるようにして突き放した。シェルフにぶつかって倒れ込んだ娘はうずくまっていた。

 助けてと、涙混じりの声が聞こえた。こんなときに、彼女は誰に助けを求めるのだろう。ユウは自分の父親の顔を思い浮かべながら、娘を見続けていた。ウォーカー先生。娘のか細い声がした。娘のすぐ近くに立つトラヴィスをちらりと見る。彼は少しだけ笑っているような気がした。

「ジェシカ、」

 優しげな声。トラヴィスはゆっくりとフードに手をかける。顔をあげた娘はそのさまを茫然として見つめていた。

 彼女がうそでしょと呟いたのは、トラヴィスが素顔をあらわにしてからだ。

「どうして、先生が……」

「残念だったね、ジェシカ」

 トラヴィスは声をかすれさせる娘に柔和に笑いかける。ユウは彼が副業で家庭教師をしているという話を、いま思い出した。

 娘の手元でなにかが光った気がした。彼女はすっかり放心していると思っていたユウは咄嗟に前に踏み込もうとして、トラヴィスがそれを遮った。片腕を上げて、ユウの行く手を阻む。

 娘が半身を起こして腕を振った。形の定かでないものがトラヴィスに投げつけられる。ランタンの弱い明かりのなかで、それは液体のように見えた。色は判然としない。透明だったろうか。甘い匂いが鼻につく。

 剣を持つ片腕で頭をかばったトラヴィスにこれといった変化は見られない。ただ、構えをとくのと同時に、白刃が娘の首元を切りつけた。

 血しぶきはすぐに吹き上がった。ユウの胸元にも届いた。傷は深かったらしい。

 娘のからだが力なく横たわる。すでに死んでいることは誰の目からも明らかであった。それでもトラヴィスは再び娘の首に切先を突き立てる。血と油とで切れ味の落ちた刃で、細い首をどうにか切断する。

 剣を放り投げたトラヴィスがコートの袖で顔を拭う。軽く頭を振って、長く息を吐き出した。

「《クロック・ロック》、」

「やられたね、油断した」

 フードをかぶり直したトラヴィスは手近なソファの背凭れに片手を預けて寄りかかる。どうしたんですかと聞くユウに、彼は少しねと言葉を濁した。

 ちょうどその折、部屋の外で足音がした。走っている。来たか。トラヴィスはすべてを承知しているようだった。

「アラスター・トルーマンだ。予想通りの時間だよ、まったく」

 すぐにドアが荒々しく開かれる。ユウには見覚えのない男がいた。上等なシルクを使ったらしいブラウスを着た、中肉中背の男である。護身用に剣を携えていた。

 息を切らせる男に向かって、姿勢を正したトラヴィスはゆらりと一歩近づく。

「一足遅かったね、アラスター」

「娘は、」

「見てみるといい」

 トラヴィスが示したのは、横たわる娘の亡骸である。流れ出た血は、毛足の長い絨毯がたっぷり吸い込んでいた。

 男が唇をなわなわと震わせるのが、ユウからも見て取れる。それが絶望や恐怖からくるものでなく、憤りからくるものであると、不思議とよくわかった。

 任せたぞ。血まみれの手がユウの肩に軽く乗せられる。トラヴィスからの命令であった。

 刀をぐっと握り直して、男を見据える。男も剣を手にしていた。扱い慣れていないことが容易に想像できた。肘が開いて、足が床にしっかりと収まっている。

 ユウは刀を低く構えて軽く半身を引くように片足を下げた。男が腰を落としたのを見計らい、さきに切りかかる。刃同士がぶつかり合う。それで競り負けることはなかった。

 構えられた剣をいなすように刀を寝かせて、男の白刃の向こうに入り込む。あとは大きく振りぬくだけであった。胸のあたりを切りつける。深いが、致命傷には物足りない。今度はしっかりと足を据えて、心臓目がけて切先を突きつけた。はずしようがなかった。

 息絶えた男から刀を抜き取り、刀身についた血を払い落とす。ユウはトラヴィスに目を向けると、よくやったねと、穏やかな声が返ってきた。近づいた彼が、フードのうえからユウの頭を優しく撫でる。

 さあ、次に行こうか。そうして部屋を出て行くトラヴィスのあとへ続く。人の気配はなかった。遠くから聞こえていたはずの悲鳴も、すでに聞こえなくなっている。

 ここらへんは最初の炎の蛇の牙からは免れたのか、整然としている。だがそれも、階段が見え始めるまでであった。そのあたりは吊り明かりが落ちて彫刻も薙ぎ倒され、壁は一面黒く焦げ付いている。幅広のくだり階段にさしかかったところで、ユウは足元にある剣を見つけた。よく見ると、近くに落ちる金の額縁の下から、人の腕が伸びていた。腕だけがあるようだった。

 長い階段を降り切って、エントランスらしき場所に出る。装飾だった野太い柱が打倒され、ガラスの房飾りできらびやかに光らせていた吊り明かりが床に落ちて砕けていた。

 白いコートの人物が二人いる。背が高く肩幅のあるのと、華奢なシルエットである。フィルドとローディアであることは体格から察しがついた。フィルドは周辺の床をぐるりと見回していたが、トラヴィスとユウが到着すると、片手をあげて無言の出迎えをした。

 それからすぐに、白コートに返り血をあびたシルヴィオが現れる。彼も屋敷内を巡回していたようだ。

 全員がそろったところで、トラヴィスが帰投の命令をくだす。ただし、トラヴィスだけは最後の仕事が残っているようで、ユウはフィルドの転移魔術に連れられて屋敷の大広間へと戻った。

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