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“白騎士団”物語 1-31

​『白い恐怖』

 研究棟の鉄の門扉の内側に入ると鼻をつく異臭がある。建物が焼けた臭いだけではない。保管していた薬品や、災害の原因となったあの物質、あるいは人間の焼けた臭いであった。白かった外壁はすっかり黒く焼け爛れていて、外周を囲う高い壁こそ形を残してはいるが、その内側は焦げ付いている。外壁の内側にはいくつもの麻袋が積み重ねてあって、近くでマライアがクリップボードを片手に険しい顔をしていた。

 まだかろうじて原型を見せているだけの建物へと近づき、ツカサは顔をしかめる。口元をマスクでおおい、手には厚手のグローブをはめて、内側から薙ぎ倒された扉をまたいで屋内へ入ると、なかはひどいありさまであった。作業用に設置されたランタンの明かりを頼りに、軍服を着た人間が忙しなく行き交いながら、大きく膨れ上がった麻の袋を引きずり回してそとに運び出している。あの中身が人間であることは、ツカサも知っていた。腰元のベルトに細く丈夫なロープをくくりつけて、それと一緒に麻袋をさげている彼も、同じように亡骸の撤去作業に訪れたのだ。

 左右にのびる廊下の右へ向かう。研究室らしき部屋がいくつかあって、そのうちの一つへと踏み込む。耐熱性の研究台こそ焦げ付いただけで形をしっかりと保っていたが、薬品棚のガラス戸は割れて、天井から落ちた照明のガラスと一緒に床に散乱している。溶けた棚の表面がどろりとしたかたちのまま再度固まっていて、水浸しの床のうえでてらてらと光を反射していた。

 室内でさきに一人作業に取り掛かっていたジェイコブは、ツカサの来訪に倒れた醸造台をひっくり返す手をとめる。

「イサハヤ、作業を変わってくれないか」

「どうしたんですか?」

「少し確かめたいことができた。私には、どうしてもこれが〝白騎士団〟の仕業に思えない」

 ジェイコブの言葉にツカサは首をかしげる。〝白騎士団〟はいつも、襲撃後に標的の建物を焼き払う。

「〝白騎士団〟が建物の形を残しておくことはまずない。彼らはいつだって、破壊の限りを尽くす」

「それは、ここが研究施設だったからじゃないんですか? 耐熱性の素材を多く使っているようですし」

 ツカサの言葉にジェイコブは首を左右に振る。

「彼らにそんなことは関係ない。それに、死体を見たか? ほとんどが焼死体だった。殺された人間が少なすぎる」

 ほとんど確信しているような言い方であった。ツカサはまだここでの作業に加わったばかりであるから、死体の状態がどのようなものであるかなど知りはしないのだが、納得せざるを得ないものを感じた。ジェイコブはもともと、事件調査の部署の所属であったのだ。

 ここは任せる。そう言った彼が研究室を出ようとしたところで、そとからけたたましい鐘の音が響いた。そうそう使われることはないが、遠征先などで緊急事態を知らせるものだ。同時に、入口から真っ赤な紙が滑り込む。空中に浮かんだそれは手紙のように折りたたまれていたが、ツカサとジェイコブの見守る前で慌ただしく広げられた。

「マライア・フラーより全隊へ。〝白騎士団〟が現れた。場所はトルーマン家および研究棟跡地。各自武器を取れ」

 手紙からマライアの声が告げた。手紙に走り書きされている内容そのままである。

 ツカサは腰元の刀に手をそえて、研究室を飛び出す。ジェイコブも同様であった。腰に帯びた剣をいつでも抜けるよう構える。研究室を出て足場の悪い廊下を走り、そとに飛び出した。すぐそこに見える鉄扉のところに、白い影。〝白騎士団〟であった。重たそうな剣を片手に提げている。人数はその一人。ほかの団員は、おおかたトルーマン家にいるのだろう。ここへ訪れた理由は足止め、あるいは戦力の分散といったところか。

 研究棟に来ていた部隊の面々が武器を携えて集まる。及び腰になる者など一人もいなかった。

 刀身のながい剣を引き抜いたマライアが〝白騎士団〟に対峙するように構える。

「全隊抜刀! 特攻馬鹿の底力を見せてやんな!」

 兵士たちの唸るような叫び声が彼女に応答する。数人が前へと飛び出し、左右から追い込むように〝白騎士団〟へ切りかかる。同時に、白い姿の後ろで一つの影が躍った。まっさきに切りかかった面々を隠れ蓑にしたジェイコブが、〝白騎士団〟の背中を斬りつけようとしたのだ。

 飛び出した数人がぐっと地面を踏んで身を引くのと同時に〝白騎士団〟が身を翻した。振り上げられた腕に白刃が閃く。あのまま踏み込んでいれば、彼らは切り裂かれていたであろう。一方で、〝白騎士団〟は背後のジェイコブにも気が付いていたようだ。振り向きざまにその首を狙う。

 伸ばした腕に兵士の一人が剣を向ける。そうやってジェイコブが逃げる隙を作るのだ。

 〝白騎士団〟が姿を消す。転移魔術だ。白刃を抜き放ったツカサは、つぎに白いコートの現れる場所を探すが、あんたはさがってなと、マライアがすぐ前に立った。彼女の目の前であのコートがふわりと揺れる。金属同士のぶつかり合う甲高い音が耳障りであった。

 両刃の剣で〝白騎士団〟の剣をはじいたマライアは、数歩後退した白い姿の輪郭が波打つように揺らぐところに切先を突き立てた。手応えのないことはツカサから見ても明らかであった。切先の貫いたところに〝白騎士団〟はすでになく、幻のように消え失せていた。また転移魔術であった。

 後ろだ! 誰かが叫んだ。振り向くと、すぐ近くで鈍い音がした。後ろなどではなく、ほぼ正面であった。

 〝白騎士団〟の位置に素早く気づいたらしいジェイコブが剣を構え、間近にいる敵にそのまま胸を貫かれていた。〝白騎士団〟は司令塔のマライアではなく、彼を狙っていた。

 

 

 アントン・ハガードが駆け付けたとき、トルーマン家の屋敷はすでに火の海となっていた。窓ガラスはどれも割られていて、よく育てられていた庭の木々も焼けている。屋敷の表の扉は無残に破られ打倒れ、踏み込むと倒れた獅子の彫刻が砕けているのが目に入る。もはや彼らはこの屋敷のすべてを壊すつもりなのだと知り、アントンは熱気をかき分けるようにしながら倒れた柱の一つをまたいだ。

 ブーツの底が血だまりを踏みつける。すぐ近くにうつぶせになって倒れている部下を見つけた。片膝をついて若い部下を両腕で抱き上げる。だらりとしていて力がなく、ひどく重たいからだであった。背中を深く斬りつけられたようで、すでに息はない。苦痛にゆがんだ死に顔は、ミック・ウィンターソンのものだった。

 屍を抱く腕にぐっと力がこもった。同時に、天井の一部が崩れてできた瓦礫の山のほうで人の動く気配があることに気がつく。敵かと身構えたアントンは、しかしそこにいる小さな姿に眉をひそめた。スリ犯として自警団本部の拘置所に入れていたはずの少年が、どういうわけか本邸にいたのだ。

「そこの人が連れ出してくれたんだ、危ないから逃げろって。けど、その……」

 少年は口ごもったが、言いたいことは伝わった。アントンはミックのからだをそっと横たえると、瓦礫の隙間から姿を現して佇む少年に手を差し伸べる。

「逃げるんだ、いますぐ。私の部下の死を無駄にしてくれるな」

 少年が歩み寄る。アントンの手を取ろうと腕を伸ばしたところで、屋敷の庭のほうからけたたましい音が響いた。どすんと、重たいものが落ちたような音である。振り向いたさき、屋敷の入口に、黒い獣が佇む。全身を固い毛皮でおおい、尖った鼻を持つ犬のような顔の四足の獣であった。大きさはアントンの肩にその耳が届くほどである。よだれの垂れる口元から鋭利な牙をのぞかせ、低くうなっていた。

 犬のようだが犬に見えぬ獣の隣には白いコートの人物がいる。フードで顔を隠したその人物が〝白騎士団〟であることはすぐに知れた。

 アントンは少年の腕を引っ張り大きな柱の影へ隠すと、そとへ逃げるんだと告げる。

「軍を頼れ。軍のフェル・ロッド大尉だ。彼なら君を助けることができる」

 重たい足音が近づく。獣はアントンも少年もとうに見つけている。

 アントンは物陰にひそめていたからだを獣の前へと現し、団服の上着の内側に忍ばせている古木を握る。耳元でいたずら好きな子供にも似た声が囁く。火を灯してあげる。

 〝白騎士団〟と隣に並んだ獣を見据える。〝白騎士団〟は悠然と獣の背を撫でていた。

 古木を放る。赤い光の粒がいくつもそれに群がるのが見える。あの不気味な男はこれが精霊の力だと言っていた。

 獣が飛び出す。大きな口で古木を噛み砕き、途端に赤々とした炎が獣の口元に吹き荒れた。ギーヴの街でジョザイア・スーベルの自宅を焼き尽くした火は、しかしそうして獣に喰われた。

 踏み出した獣がそのままアントンに飛びかかる。鋭い爪が目前にまで迫り、彼は身を翻した。腰にある細身の剣を引き抜き、唸る獣の首めがけて白刃を切り上げる。その軌跡を、赤い光の粒が追いかけた。

 あとわずかで刃が獣を突き刺す。その瞬間を見ながら、アントンは何者かがからだの横をすり抜けるのを視界のすみに捉えた。

 刃は腕ごと奪われ、後ろから走り抜けた獣の口のなかへと滑り込む。目前にいるのとは違う。この獣は二頭いたのだ。目の前の獣の爪が彼の肩口へ深々と突き刺さる。皮を割いて肉を切った。もはやアントンに意識はなかった。

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