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“白騎士団”物語 1-30

​『長い夜の始まり』

 その日の夜。七時になる少し前に大広間に入ると、すでに五人の人間がそこにそろっていた。入口からもっとも遠くの席、室内全体を見渡せる場所には《クロック・ロック》であるトラヴィスが椅子に悠然と腰かけ、その正面、連なる席にはシルヴィオ、スノウ、フィルド、そしてローディア、オウガがそれぞれに腰を据えていた。

 愛刀を抱えたユウは慌てたように小走りになって、開いている席のうちの一つに座る。オウガの隣であった。

 一人いない……。小さくつぶやいた声は、しかし静かな空間ではよく響いたらしく、トラヴィスが小さく笑った。

「もう一人は、今回の襲撃では別の形で協力してもらうんだ。ここには来られない」

「そう、だったんですか……」

 ユウはそれきり沈黙する。残る一人の団員とはまだ会ったこともないが、トラヴィスはそれを取り立てて問題にしなかった。

 さて。彼は身を乗り出すようにしてテーブルに肘を乗せる。顔の前で両手の指を組み合わせ、静かに笑みを浮かべた。

「改めて確認させてもらおうか。今回の標的はイービスにあるトルーマン家の屋敷になる。当主であるアラスター・トルーマンはここ最近になり偽金造りに熱中していたようだけれど、そんなものはこの際どうでもいい。問題は、かの屋敷の地下にいた精霊だ。フィルドの話によると、本来は川に棲むものらしい。あの精霊は魔力でもって自分の意のままに動く生き物のようなものを作り出すことができる。それが北地域中央研究所の災害の原因であり、脅威の要因でもある」

 ねぇフィルド。トラヴィスに声をかけられて、フィルドは人当りのよさそうな顔つきでうなずく。

「災害の中心になった精霊以外にも、いくつか、あの屋敷には精霊が出入りした形跡があったんだ。具体的な数は把握できなかったけど、けっこういるんじゃないかなあ」

「そしてくだんの精霊の回収は未達成である、と」

 トラヴィスは重心を寄せて頬杖をついた姿勢で、一同を見渡す。フィルドが苦笑し、ローディアが視線を逸らしていた。ユウはただその様子を眺めながら、つぎにトラヴィスが口を開くのを待つ。

「精霊の回収ができなかったのは惜しいけれど、問題ない、これからカバーすればいいことだ。そのための〝白騎士団〟なんだからね。じゃあこれから具体的になにをするのか、話していこうか」

 まずは、と語りだした内容は、案外シンプルであった。トルーマン家の外周を囲う防壁の魔術をトラヴィスが破壊し、直後に屋敷正面からシルヴィオが最初に突入する。そのときに彼はトラヴィスの造り出したあの人形を一人伴って、陽動役として屋敷の最前面部分を徹底的に破壊する。時間差でフィルドとローディアが上空から飛び込み、どこかに控えているであろう精霊を極力排除する。最後にトラヴィスがユウを連れて屋敷後方から忍び込み、アラスター・トルーマンをはじめとするトルーマン家の血縁者を中心に始末していく。スノウとオウガは、緊急時のために屋敷で待機、とのことだ。

 今回、見つけた人間は排除して構わない。トラヴィスのその言葉で作戦の伝達は締めくくられた。ユウにとってもわかりやすくて助かるほどだ。じゃあ行こうかと彼が席を立つのに合わせて、全員が起立する。ユウは出遅れてしまった。

「最愛の家族に幸運を」

 落ち着いた声で告げられる。途端に、団員はそれぞれに転移魔術を使って姿を消した。残ったのはトラヴィスとユウだけである。

「あの、家族って……」

「また今度話そう。いまは目の前の標的を始末して生き残ることだけに集中するんだ」

 白いコートのフードを目深にかぶってユウに歩み寄ったトラヴィスが彼女の肩を抱き寄せる。わずかに身を固くしたユウは、つぎの瞬間には、眩暈に似た感覚に足元を失う。目の前の景色が消えたかと思ったら、もうそこは別の場所に成り代わっていた。

 どこかの林のように見える。下草などは刈られていて、木々の枝葉も、暗くてよく見えないが、適度に剪定されているらしい。

 優しい手つきでフードをかぶせられながら、ユウは隣に立つトラヴィスを見上げた。目元などは暗がりに紛れて見えないが、口元には普段の柔和な微笑が浮かんでいる。

「俺が命令するまで抜刀しないでね、魔術も控えるんだ」

「はいっ」

 いい子。トラヴィスの手がユウの頭をフード越しに撫でる。それから彼はゆっくりと歩き出し、やがて目の前に鉄柵が見えたあたりで立ち止まる。ユウにも見覚えのある屋敷がそこにある。

 屋敷を見上げていると、「えっ……」と、困惑混じりのかすかな声が隣から聞こえた。見ると、トラヴィスがトルーマン家の屋敷の上空を見つめて立ち尽くしていた。

 何事かわからず彼の視線を追う。夜空の手前、屋敷の屋根のうえのあたりで、大気がゆらいだ。転移魔術で姿を消すときとも違う、薄い透明な幕が光を反射しているような具合だ。ほんの小さな輝きだったそれはすぐに大きくなり、それこそ被膜に穴があいて徐々に拡大していくかのように、ゆらゆらと揺れ動く光の輪が広がる。屋敷をドーム状におおっていたようだった。

「なにがあったんですか?」

「防壁魔術が解かれた。何者かの手によって、内側から」

 トラヴィスは改めてフードをぐっと深くかぶると、小さく息を吐き出す。

「作戦続行、警戒を怠るな」

 直後、屋敷の向こう側が明るく光る。赤色の球体が地上から上空へ向かって打ち上げられて、大きく弾けた。それは赤々と燃え盛る巨大な炎の蛇となり、大きく裂けた口を開きながら屋敷へと飛び込む。けたたましい轟音と同時に、いくらかの悲鳴が響いた。

 

 

 その日のイービスの夜は、不自然なほど静かに感じた。大きく渡された橋のうえに連なる店の数々も心なしか明かりを落としているように思えて、アントンはぐっと拳を握りこむ。木材で組んだテラスのあるカフェの前を通り過ぎ、道に面した大きな窓際に小さなアクセサリーを並べて見せる店の前も通り過ぎ、食事と酒とを一緒に振る舞う小洒落た店の前も通り過ぎ、そうしているうちに、ふと目にとまるものがあった。ハルバルト軍の外套のうえ、背中に大剣を背負った小柄な軍人。フェル・ロッドである。彼は店を眺めるでもなく、橋の高い位置からトルーマン家の屋敷の方をじっと見据えているようだった。高台にある屋敷なら、橋のしたにでも行かない限り街中のたいていの場所から見えるが、とかく見通しがいいのがこの場所であることは、アントンもよく知っていた。

 行き交う人の間を苦もなく通り抜け、アントンはフェルに近づく。こうして大剣を背負っている姿は、初めて見る。

「ロッド大尉、どうされました」

「ん? アントンか。……少し、嫌な予感がしてな」

 橋の通りのずっと向こうに見える屋敷から目を逸らすことなく、フェルが言った。アントンも彼と同じように遠くにある屋敷に目を向けるが、明確な答えは得られなかった。嫌な予感など、とうにしている。

 首を横にめぐらせると、建物と建物の隙間、煉瓦と固めた粘土の壁のあいだから、いまはすっかり焼け落ちた研究棟がかすかに覗くことに気が付いた。フェルはこの両方を一度に見渡せる場所として、ここを訪れたのだろうことも予想がつく。

「〝白騎士団〟は、現れるでしょうか」

「来るんじゃねぇか、たぶん」

 声をひそめるアントンに対して、フェルは気にかけない。それにはさすがに顔をしかめて彼を見るが、意外なことに、そこで視線が合った。黒々としていて、意思の強そうな目だった。

「守るんだろう? あの家を」

「……。守りますよ、たとえどんな敵が来ようとも」

「なら、それでいいじゃねぇか」

 フェルがまた屋敷のほうへと目を向ける。アントンはもはや、彼を非難するつもりもなく、ひっそりと拳を強くした。

 屋敷はほんのりと明るく灯されている。正面に見える窓にはいくつか明かりも灯っていて、そこに人がいるのがわかる。アラスターの愛娘、ジェシカ・トルーマンもあのなかにいるのだ。

 アラスターが一度屋敷のそとのどこかに避難させようとしたのを、ジェシカは頑なに拒んだ。いやです、きょうばかりは。そう言って聞き入れないジェシカに、ついにアラスターが折れたのを、アントンは見ていた。

 おい、あれ。唐突に、フェルがアントンに声をかける。屋敷の上空でなにかが光って――――防護用にとかけていた魔術が解かれていく。

「どうして……私はそんな命令など……」

「街やほかのことは俺の方でどうにかする、集められる自警団連れて早く行け」

 はい。短く答えて転移魔術を使おうとしたところで、アントンは息を飲んだ。屋敷の正面から赤い光が打ち上げられ、それが大きく爆ぜて巨大な炎の蛇となったのだ。〝白騎士団〟の襲来である。

 足がとまる。行くのを躊躇ってしまった彼のかわりというように、すぐ近くに人が現れた。軍の兵士であった。彼はフェルを見つけると敬礼もそこそこに口を開く。

「研究棟方面に〝白騎士団〟が現れました。大尉……!」

「すぐに向かう。少し時間をくれ」

 彼らのあいだで早口に交わされた言葉が水面越しのように反響して聞こえた。フェルに目を向けると、ぼやけかけの視界のなかで、過去に二回ほど兵士を軽々と飛ばした手が迫っていた。

 胸倉を掴む力は強い。首がしまり苦しい思いをしながら、アントンは目の前の彼を見る。

「アントン・ハガード、お前の役割はなんだ。守るってのは、なにを守るんだ」

「……。トルーマン家を……。私は……あの家を守るために……」

 掴まれていた部分が突き放される。咳き込みそうになるのをこらえて、アントンはフェルが踵を返すのを見た。

「ほかのことは任せておけ。お前はなすべきことをなせばいい」

 兵士が彼を連れて転移魔術を使う。空気に溶け込むようにして消え失せた背中を見送り、アントンはぐっと奥歯をかみしめた。怖気づく時間などなかった。

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