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“白騎士団”物語 1-29

​『国を守る意志』

 ジェイコブの要請により、軍から派遣されたのは五人であった。もともと彼が所属していた部署の面々である。彼らにも、事前にジーン・ホワイトリー少佐からの命令がくだっていて、このときのために後方で控えていたのだ。その五人とは別に、ジェイコブと同じく、フェル・ロッドの部隊へと所属になった兵士も一人そろって、トルーマン家の扉をくぐる。

 広々としていて人の少ないエントランスロビーで、地下の部屋にあった違法行為の証拠を声高に宣言し、そのうえでアラスター・トルーマンの出頭を要求する。警備のために入口が見える位置でそれぞれ直立不動の姿勢をとっていた数人の自警団の面々は、わけがわからないといった顔つきであった。偽金について、彼らは知らされていないらしい。

 事情を説明していただけますか。一際大柄な男が進み出た。石造りの床をブーツの底がたたく音がする後ろで、自警団の一人、若い男が動いた。おおかた、団長のアントン・ハガードにでも連絡をとりに出たのだろう。

「この屋敷の地下にて、大量の偽金と、それらを製造するためと思われる設備が発見されました」

 ジェイコブの言葉に、男は顔をしかめる。証拠は。威圧するような声に、しかしジェイコブは一切ひるむことなどない。

「地下に行けば見つかりますよ。あなたは知らずとも、アラスター・トルーマンなら知っているでしょうね」

 男がちらりと背後を見た。野太い柱の近くで構えていた自警団の一人と目配せをして、直後にはその人物がうえの階へと続く階段に向かっていた

 向き直った男がうなるように口を開く。

「どちらにしろ、我々のあずかり知らぬことのようです。いましばらく、お待ちいただきたい」

「あまり時間はありませんよ」

 ジェイコブはすっと片腕を真横に持ち上げる。それを合図に、すぐ後ろに控えていた三人が動く。ジェイコブの横をすり抜け、自警団がとめるのも無視して地下への階段の扉を開けた。

「ガネル少尉、どういったつもりで?」

 苛立ちが募ったような声。男はほとんど睨みつけるような目をしていた。

 ジェイコブが彼に答えるより早く、背後で屋敷の扉が開く。振り向くと、目の前に拳が迫っていて、咄嗟に両腕で頭をかばうが意味などなかった。強い衝撃が脳味噌を揺さぶり、足が地面から離れる。からだが浮かんで、天と地とが曖昧になった。わずかに遅れて、鈍い痛みが全身を痺れさせる。視界がゆがんで、意識が遠のきそうになった。

 音は遅れてやってきた。どすんと重たい音と、からだじゅうの骨が軋む音であった。

 激しく咳き込む彼は、自分の近くに人が立つ気配を察した。

「ジェイコブ・ガネル少尉、」

 それは重たく、そして恐ろしい声に思えた。

「お前の所属はどこだ。言ってみろ」

 判然としない視界で、そこに立つ人物を捉える。小柄なはずが、ずいぶんと大きく見えた。

 ロッド大尉の部隊です。かすれた声でとぎれとぎれに応じると、「ほう」と彼が言う。

「なら聞くが、俺の部隊に所属するお前は、部隊長である俺の命令を忘れたのか? それとも、あえて逆らったのか?」

 返答に詰まる。呼吸も徐々に落ち着きを取り戻しつつあるが、喉の奥がヒュウとか細く鳴っていた。

 遅い。その一言と同時に、起き上がろうと床に手をついたジェイコブの脇腹が蹴り上げられる。また転がった彼は、苛立ちをふくんだ目でフェルを見た。

「あなたは自分の任務を忘れたのか! いまするべきことがなにか、わからないのか!」

 再びからだを起こしながら声を張り上げる。フェルに動じた様子はなかった。

 ジェイコブはよたよたと立ち上がり、今度こそ強く、フェルを睨みつける。

「国民を守り国を守るために法がある。その法を犯す人間を、なぜ野放しにできる。英雄が聞いてあきれる!」

「ジェイコブ、俺はいまその話をしに来たわけじゃねぇ。お前に命令違反があった、ってのが問題なんだ、わかるか?」

 フェルの声は落ち着いて淡々としている。それにひるむことはないが、ゆっくりと歩み寄った彼が持ち上げた片腕を真横に振りぬいたとき、ジェイコブはいよいよもって意識を失った。

 

 

 フェルの容赦のない制裁の一部始終を見終えたアントンは、なぜとかすれた声をこぼした。

「あなたは……どうして……」

「こっちにもこっちの事情があるってこった。ま、深くは考えるな」

 フェルはそれ以上を語ろうとせず、その場に残っている面々に帰投を命令する。ついでに、さきに踏み込んだらしいメンバーも一緒に連れて帰るよう伝えて、最後に残ったジェイコブを肩に担いだ。

「こいつは俺が預かる。悪いな、騒ぎ立てて」

 一方的に告げて屋敷を出る。フェルになにかを言及する様子はなく、すぐそこにいた自警団の男は訝しむような顔をした。

「前々から思っていましたが、あの部隊長、変わり者ですね」

「私もそう思うよ。だが、彼は紛れもなく、英雄だ」

 それからすぐに、自警団の一人に連れられて、アラスターが姿を現した。彼にことのいきさつのすべてを告げると、そうかと一言だけが返ってきた。わずかな沈黙のあとにしばらく一人にしてくれと残し、また屋敷の奥、自室へと向かってしまう。

 あの不気味な男と何事か相談でもするのかと考えながら、アントンも一度そとへと向かおうとして、入口のすぐ隣、獅子の彫刻の影に人がひそんでいることに気がついた。ツカサ・イサハヤという新兵だ。いつからいたのかはわからないが、たったいまここに到着したという顔つきには見えなかった。

「すいません、盗み聞きしてしまいました」

 罰が悪そうに頭をさげるツカサに、アントンは構いませんよと応じる。ジェイコブを殴り飛ばしたフェルなら、おそらくツカサの存在に気づいていたことは容易に想像できたし、どうも彼はあの部隊長からずいぶん信用されているふうでもある。

「あの……大尉と話したいと仰っていたのは、その件だったんですか?」

「そのとおりですよ。わかっているとは思いますが、」

 ツカサがこくりとうなずく。アントンはそれに柔らかく笑って返した。

「助かります。さて、あなたにはあなたの仕事があるのでは?」

「はい。ですので、失礼します」

 敬礼をして踵を返そうとするツカサを、ちょっと待ってくださいと呼び止める。

「警備任務ですよね。どこの担当なのか、聞いても?」

「このあとは、北地域中央研究所周辺地区の巡回を一七〇〇時まで続けて、一七三五時からは研究棟での作業に合流する予定です。どうかされましたか?」

「いえ、足止めしてしまい申し訳ない。では、」

 今度こそツカサに敬礼を返して、彼を見送る。

 屋敷の正面扉が閉まると、アントンは深く息を吐き出す。部屋に呼びに来てからずっとすぐ近く控えていたミックが、怪訝そうな顔をした。

「珍しいですね、お疲れですか?」

「いや、なに……少し、思うところがあってな。お前たちも、任務に戻れ」

 気を抜くなよ。ふたたびロビーのなかを監視するように直立不動の姿勢をとる面々に告げて、アントンは屋敷をあとにした。

 

 

 トルーマン家の地下、普段は光を灯さない場所にある倉庫から、軍の面々が引き上げて行く。暗がりに身をひそめて、魔術ですっかり姿かたちを見えなくしていた彼は、軍服姿の男たちの足音が遠のいてからようやくその輪郭を浮かび上がらせた。

 片手のランタンを顔の高さに持ち上げると、ぼっと火が灯る。照らし出されたのは、壁際に押しやられた大きな水槽であった。なかでは一つの精霊が優々と泳いでいる。これが災害の原因であることは、容易に察することができた。

 倉庫の奥には偽金、そして倉庫には災害の原因。黒いローブで正体を隠した彼は、深くため息をこぼす。トルーマン家はいつから落ちぶれてしまったのか。ひっそりとひとりごちて、水槽に手をそえる。しわの多くなった手だった。

 バチリッと青白い閃光が水中を走り抜ける。精霊が一度大きく震えて、泳ぐのをやめた。ただ漂うその姿を見つめてから、彼は水槽の脇に落ちている布を拾い上げる。何者かが払い落としたかのような具合である。

 水槽の上部、ふたのない場所から布を水にひたして、精霊をつつみこむ。濡れた布ごとローブのなかに隠し持って、彼は転移魔術でもって姿をくらました。

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