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“白騎士団”物語 1-28

​『地下室』

 ローディア・レイとその手伝いだという研究員らしき男が倉庫を出たあと、ジェイコブはツカサのうしろのほうにあるものに目を向けた。暗がりでわかりにくいが、かすかにくぐもった水音が聞こえるのだ。

「イサハヤ、そこになにかあるのか」

 言うと、新兵である少年、ツカサが振り向く。彼がかかげたランタンのさきには水槽があって、そのなかで見知らぬ生き物が泳いでいた。

「それは……」

「わかりません。博士も、とくになにも言っていませんでしたし」

「レイ博士がこれを見たのか?」

 はい。ツカサがうなずく。ジェイコブはぐっと奥歯をかみしめた。

 水槽にいるあれは、見間違いでなければ精霊だ。実際に目にするのは初めてだったが、持っている魔力が確かに異質である。不愉快ではないが不気味であった。

 言い表しがたい感覚に近づく気にもなれず、彼は舌打ちをこらえる。

「イサハヤ、もしロッド大尉を見かけたら、ホワイトリー少佐のもとへ行くよう伝えてほしい。私も、すぐに少佐のところへ向かうつもりだ」

「少尉、ホワイトリー少佐は昨日から不在ですが……。夜のブリーフィングのときに大尉が言っていて……そういえば、少尉は不在でしたね」

 ツカサの言葉に目を見開く。災害調査の軍の責任者の一人であるジーン・ホワイトリーが、昨日二次災害があったにもかかわらず不在だというのが信じられなかった。偽金調査の仕事も彼の指揮で始まったということもあり、なおさら。

 どうしました? ツカサの声がかすかに聞こえて、ジェイコブはゆっくりと息を吐き出す。脂汗が額に浮かんでいた。

「なんでもない。そうか、不在か。わかった。なら、ハガード団長の件もふくめて、大尉へは私が伝えよう。イサハヤは自分の任務に戻れ」

「了解」

 敬礼を返したツカサが、失礼しますと会釈をしてから踵を返す。彼の足音が遠のいてから、ジェイコブも倉庫を出た。昨日のうちに複製した合鍵でもって施錠しようとして、ふとその手がとまる。自分がこの倉庫へ入ったとき、確かに内側から鍵をかけたはずだった。

 鍵をかけて、決して誰にも気づかれることのないよう、軍服の内側、ちょうど左胸のうえにそれを隠す。そのおり、近くから響く足音があった。振り向くと、ランタンの明かりが通路で揺れている。

 誰かいるのか。声をあげようとしたとき、「ジェイコブか」と、さきに言われた。小柄な姿が、少しずつ近づいてくる。フェル・ロッドだった。ツカサの言ったとおり、このあたりに来ていたのだ。

「どうした、こんなところで。なにか見つけたか?」

「大尉こそ、わかっているのでは?」

 目の前で立ち止まったフェルに、皮肉気に返す。相手がそんなことを気にするような人物でないことは知れていた。

「少佐からの任務もこれで決着がつきそうだな。そういやお前、昨日から見てねぇけど」

「こいつを探していたんですよ」

 軍服の胸ポケットから一枚の金貨を取り出す。倉庫の奥にあった部屋でみつけたものの一つであった。フェルも納得しているようだった。やはり、ここにあることをすでに突き詰めていたのだ。

「それと、気づきましたか? 精霊のこと。おそらく、災害の原因です。あれもまさか、この家の仕業だったとは」

「精霊? 悪い、俺はその手のことは疎くてな。とりあえず、この件に関してはいま騒ぎ立てるんじゃねぇぞ」

「少佐が不在だからですか? ホワイトリー少佐はいまどこにいるんです」

 問いかけに、フェルは首を左右に振った。

「わからねぇ。昨日から急にいなくなったらしい。ま、いねぇ奴をアテにする気はない。ただ、動くべきときがいまじゃねぇのは確かだ」

 そうですか。答えながら、金貨をポケットに戻す。フェルの考えていることはわからなかったが、それにおとなしく従う気は毛頭なかった。

「お前は焼けた研究所の調査にあたれ。得意だろ、そういうの。マライアが指揮を執っているから、そこに合流しろ。命令は以上だ」

 フェルが踵を返す。そのまま戻ろうとする彼に、ジェイコブは声をかけた。

「大尉、さきほど、ハガード団長が探しておられたようですよ」

「アントンが? わかった」

 背中越しに振り向いたフェルが素っ気なく言った。呼ばれる心当たりでもありそうな様子に見えた。

 また前を向いたフェルが遠ざかる。その背中は自分よりも小柄であるというのに、彼が英雄であり、そして希望なのだ。

 また一人になり、ジェイコブは小さく息をつく。ランタンの火を吹き消して、薄暗くなったところに目を慣らした。

 固い床を踏み鳴らして地上へ戻る。ロビーの明るさに目がくらんだ。いまこの屋敷にいる大半は、自警団をはじめ、トルーマン家に従事している者がほとんどだ。軍の面々の多くは、街全域の警戒や、焼けた研究所の調査、北地域中央研究所の警備にあたっている。臨時の会議でどう取り決められたのかは知らないが、フェルはトルーマン家の屋敷に軍の人間をほぼ配備しないことをよしとしたらしいのは明らかだった。

 

 

 フェルがイービス自警団の本部にあるラウンジに行くと、そこにはソファに腰かけて休憩中のアントンがいた。ほかにも数人の自警団の団員が見受けられるが、彼の入室にいち早く気づいたのはアントンであった。

 立ち上がって軽く片手を上げるアントンに歩み寄り、フェルは「話でもあんのか」と口を開く。

「少し、確認したいことがありまして。場所を変えましょう」

 こちらです。アントンがラウンジのそとへと歩き出す。ロビーからラウンジ脇を通り抜ける通路に入り、その途中にある階段をのぼった。二階、三階へと向かい、建物の正面側へ向かってまた通路を歩く。このあたりなどは、扉が等間隔に現れていて、自警団の居住スペースらしいことが窺えた。その一角、周囲と取り立てて変わりのない部屋のドアを開けて、アントンが入室を促す。断る理由はなかった。

 室内は、あまり広くはないが、生活に不自由のない調度が置けるだけの場所が充分にある部屋であった。窓辺には薄いカーテンを引いて、一人掛けのソファが二つ、丸テーブルを挟んで向い合せに置いてある。木製のビューローもあって、白色のカーテンを目隠しにしたベッドの手前ほどに置いてあった。クローゼットにガラス張りの戸のシェルフなどもあるが、どれも似た装飾のものである。

 アントンは部屋の鍵をかけると、窓辺のソファへとフェルを誘導した。そとの見える場所は好きじゃねぇな。言うと、アントンはレースのカーテンのうえにさらにもう一枚、厚手のカーテンを引いた。

 それぞれがソファに腰かけたところで、フェルは話を促すようにアントンに目を向ける。彼は身を乗り出して膝に肘を乗せた。

「単刀直入にお尋ねしましょう。あなた方は、トルーマン家を疑っているのではないでしょうか」

「なんの話だ」

「わかっているはずです。地下の倉庫のスペアキーが一つ、なくなっていましたから」

 フェルは眉をひそめる。それに構わず、アントンは続けた。

「最初の会議のときから、少しだけ違和感はありました。あなたがなにか、本来の仕事以外の任務を隠しているのではないかと、ずっと引っかかっていたのです。あなたの行動はすべて、我々の監視のために思えましたから」

 考えすぎじゃねぇのか。言うが、アントンは首を振った。

「あなたとウォーカー博士は以前からのつながりがあると聞いています。そして会議のなかでのあなたは、おおむね博士に肯定的でした。いま博士は、アラスター様のすぐ近くにいる」

 なるほど。フェルは息を吐き出すように言った。

「悪いが、俺と博士は昔に仕事で顔を合わせた程度だ、なにかを共謀するほどの関係じゃねぇんだよ」

 いいえ。アントンは退かない。あなたはそれでもなにかを隠している。

 彼は一度上体をソファの背凭れに預けた。しばらくなにかを考え込むように沈黙する。

 会話が途切れると、静かなものだった。そとから聞こえる音など、ろくにありはしない。屋敷にいる人間が少なくなっているのだ。使用人などの大半は仕事を休ませてここから遠ざけているから、警備にあたっている自警団ばかりがいるのである。

 やがてアントンが口を開く。

「私は、トルーマン家を守るためならば、なんでもするつもりです」

「イービスの街を犠牲にしても、か」

「やはりご存知でしたか」

 フェルが顔をしかめた。騙されたような気分だった。

「地下の倉庫の奥で、見たのでしょう?」

「どうしてあんなもんを?」

「わかりません。ある日、見知らぬ男がこの屋敷を訪ねてから、アラスター様がいきなり始めたことです。男は決して名を明かさず、それでいて、アラスター様の行動を支配しているようでした。気味の悪い男ですよ」

 嫌悪するような口振りだった。しかしフェルは応じなかった。

「どんな理由があろうと、俺たちは俺たちのするべきことをまっとうする」

 正義のため、ですか。アントンの皮肉気で気力の失せたような笑みに、はっきりと首を横に振った。

「善悪がどうのこうのってのは好きじゃねぇな。んなこたあ他人に言わせときゃいい。俺はただ、俺の役割をこなしてるだけなんだ」

 アントンが声を立てて笑った。空を仰ぎ見るようにしながら、片手で目元を押さえる。なにか滑稽なものでも見つけたかのような姿であった。

「それはあなたが強いから言えることなんですよ、ロッド大尉。あなたは強い、本当に……。けれど、そうですね。私も、私の役割をこなさせていただきましょうか」

 ひとしきり笑った彼は承認を求めるようにフェルを見る。色の薄い目にはしっかりと光が宿っていた。

「俺は最初からそのつもりだったぞ。お前はトルーマン家を守ればいい」

 ありがとうございます。アントンが深々と頭をさげる。それとときをほとんど同じくして、部屋のそとで騒がしい足音がした。扉をノックする音があり、一言断りを入れたアントンが対応する。ドアのそとには、片腕を包帯で首からつった若い自警団の男が立っていた。

「ガネル少尉が、地下室での違法行為があったとして、アラスター様の出頭を要求しております。いったい、なにが……」

 困惑した様子の団員に、アントンは言葉を失い立ち尽くす。その彼よりも、フェルのほうが幾分も冷静であった。

「出頭に応じる必要はない。ジェイコブ・ガネル少尉には俺から話をつける。案内しろ」

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