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“白騎士団”物語 1-27

​『水の檻の精霊』

 その日の昼間。

 トルーマン家の屋敷の周囲には、自警団の制服を着た屈強な男たちが立ち並んでいる。光沢のある石の彫刻で荘厳に飾られた門扉の両脇にも、直立不動の姿勢で周囲への警戒を続ける者が昼夜問わず必ず二人以上構えていた。

 彼らの視線に居心地の悪いものを覚えながら、黒い革製の鞄を片手に引っ提げたローディアは白衣を揺らして屋敷に踏み込む。後ろには、同じように白衣を着たフィルドがついていた。彼は彼で、慣れない服装に落ち着かないようだったが、ローディアが睨みつけると諦めたように苦笑した。

 屋敷の入口、両開きの大きな扉を抜けると、広いロビーになっていて、眩いばかりの白い光が磨き上げられた石造りの床に反射している。野太い台座に獅子の彫刻などが置かれたのが扉の脇に並んで設置されていた。勇ましく遠吠えをする獅子は、ハルバルトの国旗にも描かれているものだ。

 ロビーの左手の奥には幅広の階段があり、吹き抜けの二階へ通じていた。対面の奥には入口にくらべるとだいぶ質素になった扉があり、ローディアはそこの金色のドアノブを掴む。

 続いているのはしたの階へと通じる階段だ。薄暗さはなく、石膏の柱ではよく磨かれたランタンに火が灯っていて、足元まで充分に照らしている。階段は途中で折れ曲がっていて、くだりきったところは地上となんら変わらない、幅広の廊下となっていた。窓がない壁面には、かわりに金色の額縁に収めた絵画や、柱状の彫刻などが置かれている。それらを見るともなしに見ながら、ローディアはさきを急いだ。まず一本道を進み、途中横にわかれる廊下へ入る。このあたりになると、普段は人の出入りがないせいか、清掃はされているようだが、明かりは灯っていなかった。暗がりに目を慣らして、明かりはないままさきへ行く。

 通路の両脇にそれぞれ扉があるが、数は少ない。廊下の突き当たりも、地上部分と同じような造りらしいドアがあった。ローディアは白衣の内ポケットからずっしりと重みのある鍵を取り出す。昨日、トラヴィスから預かったものだ。

 鍵穴に顔を近づけて、無理矢理ねじこむようにして鍵を入れる。軽くひねると、ガチャリと音がした。そっと扉を押しあける。なかは、廊下よりもさらに暗かった。鞄のなかから、棒状のものを取り出す。少し太い木の枝のようだが、その表面には滑らかな凹凸があり、柄の部分などは手で握るのにちょうどいい形になっていた。杖だ。ずっと昔、かれこれ二〇〇年以上をさかのぼると、魔術師は当たり前のように手にしていたものである。

 なに、それ。ローディアのうしろからフィルドが声をかけた。

「うっさい、あとにしろ」

 ローディアは素っ気ない。杖をぐっと握りこむと、その表面を青白い光が幾筋もの稲妻のような不規則な紋様を描いて走った。暗闇のなかで杖がぼんやりと浮かび上がり、それを一振りすると、今度は先端のほうに強い光が灯る。部屋全体とはいかないが、周囲を照らすには充分なものだ。

 見えたのは、高く積み上げられた金属製の箱や、丸いテーブルに載せられた金の天秤、青銅の水盆もあった。時計のように一定の間隔で振れ続ける振り子を収めたガラス張りのクローゼットもある。ここは倉庫なのだ。

 部屋に踏み入り扉を閉めて、ぐるりとあたりを見回す。雑多にものが積み重ねられているが、どれも違う。狭い足元に気をつけながら、目の前にあるガラス張りのクローゼットを回り込むと、壁際に布をかぶせられた大きな箱のようなものがあった。

「いたね。あのなかだ」

 フィルドがローディアのまえに進み出る。足を踏み出すごとに警戒を強くしているのが、その背を見るだけでわかった。布に手をかけ、勢いよく引きはがす。同時にごぽりとくぐもった水音がして、黒い影が躍り出た。一度大きく飛び上がり正面からのしかかろうとするその影を、フィルドは片手でもって受け止め、そのまま正面にある水槽に押し付けた。バチバチと、青白い火花が飛んでいる。手から逃れようともがく黒い影を、フィルドが強引に押さえつけているせいだった。

 杖の光で照らし出された影の正体は、人型のからだを持ちその表面を水色の鱗でおおった生き物であった。手足には水かきと爪とがあり、目はぎょろりとしていて青黒い。口は大きく、耳のかわりにある鰓のあたりまで裂けていて、牙もあった。大きさは、その胴体がフィルドの手で水槽に押さえつけられる程度である。精霊の一種だ。

「そいつ?」

「こいつだねぇ。ちょっと待ってて」

 ローディアに答えると、フィルドはぐっと手元に力をこめる。途端に、もがいていた精霊がぐったりとして、静かになる。

「どうしたの?」

「ちょっと黙ってもらったんだよ。あんまり力の強い精霊じゃないから、簡単かな、って思って」

 動かない精霊を両手で持ってローディアの前へと差し出し、フィルドはへらりと笑う。手元だけでなく、彼の肘のあたりまでがぐっしょりとぬれていた。

「少し、妙だよね。人と契約はしていないみたいなのに、どうしてここにいるんだろう」

「捕まっていた、ってことはないかな。いまのお前みたいにして」

 んー。フィルドが首をかしげる。

「なんか、そんな感じはしないなあ……」

「そうか。とりあえず回収して、」

 言いかけて口を閉ざす。部屋の外で足音がした。ローディアは杖を鞄へ放り込み、フィルドが精霊を水へと戻す。直後に扉が開いた。

 軍服を着た兵士が一人立っていた。小柄で幼顔の少年兵士だ。ランタンを片手にさげて、室内をのぞきこむ。水槽に反射した光が、二人を照らした。

「誰かいるんですか?」

「あぁ、いるよ」

 少年に答えたのはローディアだった。特に隠れる様子もなく、堂々とクローゼットの影から出る。

 少年がかかげていたランタンをおろした。少しばかり驚いたような顔をしているのが見て取れる。

「こんなところで、なにをしているんですか」

「備品を借りようと思ったんだよ。研究所と一緒に、ぜんぶ燃えたからね」

 ローディアはてきとうなことを言いながら、改めて少年の姿を見る。軍人だというわりには背が低く、細身であった。顔つきからするに、まだ子供なのかもしれない。しかしそれにしても、と思うところはあったが、考えるのは後回しだった。うしろから姿を見せたフィルドが、少年に対して気さくに口を開く。

「明かりがなくって困っていたんだ。ランタン、ちょっと借りてもいい?」

「あ、どうぞ」

 少年が進み出てランタンを差し出す。フィルドはそれを受け取り水槽に背を向けて、自分の影に隠した。

 なにを探しているんですか。少年の言葉に、ローディアは醸造用の瓶と大鍋とだけ答えた。フィルドがランタンを高くかかげて周囲を照らすが、当然、それらしい姿は見当たらない。

「ここにあるんですか? それ」

「さあ。倉庫って聞いていたから、あるかもしれないと思っただけ」

 箱の積み重ねたのの裏を回り込むように水槽から距離をとるフィルドに続きながら、ローディアはそれらしく視線をめぐらせる。入口からでは見えなかったが、空の水瓶やら文字の彫られた木製の盤やらが雑多に置かれている。背後で、少年があれ、と声をあげた。

「ここ、照らしてもらっていいですか? なにかいるみたいなんですけど」

 フィルドが無言のままローディアを見る。どうする、と確認するような彼に、やはり黙ったままうなずいて返した。

 どこ。フィルドは少年に歩み寄り、示されるままに水槽を照らした。水のなかに浮かぶ、あの精霊がはっきりと姿をさらした。

「生き物ですよね、これ」

「どうだろう。なにかの飾りかもよ?」

「そんなはずありませんよ。だってほら、」

 少年が指さしたのは、精霊にある鰓の部分であった。意識を失くしていても、そこはしっかりと動いている。

 気に掛けるようなものじゃないだろ。ローディアが口を挟もうとしたところで、すぐ近くでドアノブをひねる音がした。入口とは対極の位置に、大量の物で隠されるようなドアがあったのだ。その奥に、自分達は用事があった。

 ドアが開く。現れたのは、軍服を着た男であった。ローディアはこの人物を知っている。ジェイコブ・ガネル少尉だ。フェル・ロッドとともに、最初の会議のときに顔を見せている。

 ジェイコブの持つ二つ目のランタンがそこにいる三人を照らした。

「レイ博士……それに……。どうしてここに」

「備品を借りようとしたんだよ。お前は、そんなところになんの用があったんだ?」

 我々の仕事の一環です。ジェイコブは後手にドアを閉めながら、後ろ暗さのないようなはっきりとした声で答えた。ローディアもそれ以上に追及することはせず、あっそと短くうなずいて返す。その彼の隣に、ツカサが進み出た。

「ガネル少尉、大尉を見ませんでしたか? こっちのほうに来たと聞いたんですけど」

「ロッド大尉なら、見ていないぞ。なにかトラブルか?」

 いえ、とツカサが首を左右に振る。

「ハガード団長が、話がしたいと探していたので。ちょうど手が空いていたから俺も探しに出たところだったんです」

「わかった、見かけたら伝えておこう。それで、レイ博士、そちらは?」

 ジェイコブの示したのは、手元でランタンを持て余していたフィルドだ。彼はローディアが答えるよりさきに、気のよさそうな笑顔を浮かべる。

「博士の手伝いで」

「そうでしたか。申し訳ないですけど、屋敷内を無暗に歩き回るのは、いまは控えていただきたい。たとえレイ博士であろうとも、です」

 あぁそうするよ。突き放すように言って、ローディアはジェイコブの隣を通り抜ける。フィルドはランタンをツカサに返してから、それに続いた。

 倉庫を出て地上に戻り、広いロビーを抜けて屋敷を出る。門扉を通り抜けてから、転移魔術でもって一度用もない街中に向かった。まっすぐに〝白騎士団〟の屋敷へ戻ることは暗黙のうちに禁止されていた。

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