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“白騎士団”物語 1-26

​『炎の魔術』

 シルヴィオの講義があった二日後の午前中、まだ昼には遠い時間。ユウはトラヴィスに呼び出されて、屋敷の中庭、最初に訓練をした場所へと来ていた。ヒビの入った壁面の額縁のなかにある空を見上げる。薄い雲が柔らかいベールのようになって青々とした色をひっそりと隠していた。

 背後で屋敷の裏口のドアが軋む音がした。少しばかり建付けの悪くなった白い枠取りの扉は、開閉するたびに音をたてる。振り向いたさきには、白いコートを着たトラヴィスが片手に見覚えのある刀を持っていた。

「トラヴィスさん、それ、」

「ユウのものだよ。一度返そうと思ってね」

 艶のある黒い鞘を持った彼がユウに刀を差し出す。赤い柄巻の奥にかすかにある金色の姿が懐かしい。よく握っていた場所などは、少し変色している。

 愛刀を受け取り、ユウはまじまじとその形を見る。もうずいぶんと触っていない。柄を右手でぐっと握り込み、少し手をゆるめて、ということを繰り返す。そうしているうちに、トラヴィスが小さく笑った。

「懐かしいかい? もしユウの都合がよければ、今夜、それを使ってほしい」

「え? どういうことですか?」

 きょとんと顔をあげたユウに、彼は穏やかに微笑んでいた。

「イービスのトルーマン家を襲撃する、ってことはもう伝えてあるよね? 今夜がそのときだ」

 行けるかい? その問いかけに、ユウはこくりと大きくうなずいた。

「大丈夫です! いつでも」

「なら今夜七時、それを持って大広間においで」

 はい、と元気に返事をする。トラヴィスの手が表情の強張りそうなユウの頭を優しく撫でた。

「気負わないでいいんだよ。今回ユウには俺のサポート役として、一緒に屋敷後方からの制圧に来てほしいんだ。常に俺から離れさえしなければ大丈夫」

 難しいことはなにもないと言う彼の目は、出会ったときからずっと変わらない、深い海を閉じ込めたような色で、少しも乱れるところがなかった。彼がユウの目をきれいだと言ったのと同じように、ユウも彼の目をきれいだと思った。

 トラヴィスはユウの手元の刀をちらりと見て口を開く。

「時間もあるし、久々にそれを使ってみるかい? 俺の魔術も、少し見せてあげる」

 うなずくよりさきに、彼が指を鳴らす。途端に、彼の両隣に変化が起こる。最初は白くて光を反射する雪のような、雪よりも小さい粒がちらほらと見えてきて、それが次第に集まるのだ。粒は徐々にその量を増してゆき、やがては人の大きさにまでなる。ちょうどトラヴィスと同じような背格好で、彼と同じ〝白騎士団〟のコートを着ていた。顔などはフードの影になっていて見えないが、遠目にはまるきり人間と同じである。

「人形のようなものだよ、俺の意のままに動く。周辺の魔力を集めて一つにつなげて、人間のからだを再現しているんだ。核だけに俺の魔力を用いて、そこに俺が命令を伝えることで、ある種脳味噌のような役割をさせている。命はない。血も流れていない。人間よりもずっと脆いのが欠点だけれど、破壊されても即時代用が作れるという利点がある。ただし、同時に運用できる最大人数は三人ほど。〝白騎士団〟に欠員が出たときや、人数を誤魔化したいときに使うんだけど、手合せにも使えるね」

 流暢に語り、トラヴィスは両隣の白いコートの肩にぽんと手を乗せた。彼の言っていることの大半は異言語のようにさえ聞こえたが、それでもおおよそのことは理解できた。ユウは納得がいったという顔になる。

「討伐作戦のときのですね」

 あのとき、〝白騎士団〟は八人そろっていましたから。赤々とした爆炎のなかの記憶を引きずりだして言う。トラヴィスにそれを気にしたふうはなかった。

「そのとおり。察しがいいね。さ、これを相手に、肩慣らしでもするといい」

 彼は後ろにさがり、ユウの前に作り出された二つの人形が残る。同時に、足元の敷石や、屋敷の外壁を虹色の波紋が走り抜けた。魔術による防護幕だということは、以前ここで訓練を受けたときにトラヴィスから聞かされている。作るのも壊れるのも簡単なものらしい。

 ユウは一つ息を吐き出し、刀の柄に手をかけた。抜き放たれた白刃には、ゆるやかな曲線のなかに複雑な紋様が刻まれている。研究者であった母が遺したものだ。軍に入るときに彼女の研究室から持ち出して以来、ずっと手入れをして使っている。

 刀をからだの正面に構えて、地面を強く蹴る。向かって右側にいる人形の首元を狙うが、刃はただむなしく空を切り裂いた。転移魔術で姿をくらました二体の人形。振り向くと一人の手がユウの首に伸ばされていた。右手を振り切るようにして相手の胴体を両断しようとしたときには、人形は後退していて、かわりに、左の背後になにものかの迫る気配があった。からだごと振り向いた勢いを乗せて、そこにいる人形を切りつけようとする。切先が胸元をかすっただけであった。

 魔術を使いなよ。トラヴィスの声が聞こえた。はい、と強く答えて、ユウはぐっと手元に力をこめる。白刃にばちりと赤い影が灯る。刀身を下段に構えて少し離れた正面にいる人形に向かって大きく踏み込み、切り上げる。人形はひらりと身をひるがえして刃を逃れたが、直後に巻き上がった火の渦が左腕を焼く。

 よしっ。心中で呟いた次には、視界が傾いた。後ろから足を掬われたのだと気づいたときには、刀を握る手をはじかれ、地面にうつぶせに転がされる。腕を背中に押し付ける形で取り押さえられた。

 倒れるユウの正面に、傍観していたトラヴィスが立つ。

「言っていなかったけれど、彼らには殺気がない。よく注意していないと、後ろをとられても見逃してしまうよ?」

 腕を取り押さえていた重みが消える。ユウはゆっくりと立ち上がり、コートについた埃を払い落した。

「そうですね。つい、目の前のことに夢中になっていました」

「いいや、違うね。目の前のことに夢中になったんじゃなく、魔術を操るのに夢中になっていたんだ。前に手合せしたときや、魔術を使う直前のほうが反応速度はずっとよかった」

 トラヴィスがユウに手を差し出す。その手に助け起こされながら、ユウは彼が言うのを聞いていた。

「魔術を使うのは、俺か団員の誰かがそばにいるときだけにしたほうがいいね」

 はい。うなずいて、トラヴィスが拾い上げた刀を受け取る。握っていたときには刀身にあった炎は、すっかり失せていた。

「もう一度、いいですか?」

「ダメ」

 迷うまでもなかったトラヴィスの返答にユウはきょとんとした顔になる。どうしてと問いかけるよりもさきに、彼は口元に笑みを浮かべていた。

「ごめんね、本当は何度でも付き合ってあげたいところなんだけれど、今夜の襲撃にそなえて、いまはあまり疲れてほしくないんだ。それに、いまのでも充分にわかったから」

「わかった、って、なにがですか?」

「ユウの魔術の特性」

 言われて、刀を握る自分の手を見る。トラヴィスの言う『わかった』は、ユウの想像できる『わかった』以上のものを持っているように思えてならなかった。見透かされているような感覚だ。

「肩慣らしには、いまのじゃ足りません」

「そうかもね。でもね、ユウ。きみは自分で思っている以上に、力を消費しているよ」

「どういうことですか」

「一つの魔術に対して消費される魔力が多すぎる。魔力自体の絶対量はものすごく多いようだけれど、これじゃあ無駄ばかりだ」

 部屋に戻ろう。踵を返したトラヴィスに声をかけようとして、そこにすでに白コートの人形がいないことに気づいた。

 トラヴィスは扉を開けて待っている。ユウは刀身を鞘に納めて、彼に続いた。

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