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​“白騎士団”物語 1-22

​『ギーヴでのこと』

 時間は戻り、災害調査会議から二日後の夜。

 イービスの隣に位置する街、ギーヴの住宅街に一人の男が訪れていた。男といっても、その正体はわからない。ローブを着こんで、顔はフードでおおっている。ただ女にしては背が高く肩幅もあり、男だろうとわかるのだ。

 彼がいるのは、煉瓦造りの細長い建物が隙間なく並んだ通りである。ギーヴの街の民家は、どれも隣接して作られ、庭などを持たないところが多い。低木を植えて道との境にしているのがせいぜいである。そして、敷地面積が狭いところが多いから、自然と高さを増した家が目につくようになる。

 ギーヴは人の多い街だ。都市への交通が容易で、商業も栄えているから、住み心地がよいとされている。この土地を治める家も、保守的ではあるが温厚だと評判であった。

 男はじっと家の一つを見上げる。道のところどころにある街頭に灯った明かりが、むしろ彼の顔に影を差し入れていた。彼はしばらくそうしてからローブの内側を探った。ふわりと背後で小さな風がおこる。咄嗟に振り向いた男は、そこにもう一人、人が立っていることに気が付いた。転移魔術かなにかで、いまここに現れたようなのは、いましがたの空気の様子で伝わっていた。

 現れた人物も、男と同じようにローブを着込み、顔をフードで隠している。上背があるから、やはり男らしい。

「火種がないとできないんだろう?」

 背後に現れた人物が手になにかを握って差し出しながら、ぼそりと言った。低い男の声で間違いなかった。

 男から受け取ったのは、枯れて死んだ木の破片である。それをいまさっき見上げていた家の玄関先に投げ入れる。ころりと転がったところに、バチッと火花が散った。それはまたたく間に強さを増してゆく。やがては大きな炎となって家を飲み込んでゆくことだろう。

「人は火を使って森を焼き払う」

 背後に立つ男が、やはりぼそりと言った。彼は火を放った男の耳元に口を寄せると、吐き捨てるように続ける。

「だから俺は、人が嫌いだよ。お前も」

 言い終えた途端に男の姿が陽炎のように揺れて消え失せる。転移魔術だ。残された男はフードを深くかぶりなおし、口元で何事かを唱えた。さきに消えた男と同じように、その輪郭が揺れて姿をかき消してゆく。しかし、転移魔術ではなかった。ただ姿を見えなくしただけである。男には、この場にとどまって家の燃え尽きるのを見届ける義務があった。

 

 

 その翌日の正午過ぎ、トルーマン家所有の自警団団長アントン・ハガードは、主人であるアラスター・トルーマンの命令でイービスの隣街であるギーヴに訪れていた。北地域中央研究所の災害の主犯と目されているジョザイア・スーベルの自宅がある街だ。ギーヴの領主との事前の交渉により、街への訪問と調査はこの日と定められていた。

 艶のある黒塗りにボディに、金色の彫刻でドアに装飾を施した馬車のなかから街並みを見ながら、アントンは小さく息を吐き出す。二人ずつが向い合せに座る座席には、部下が三人いて、後続の馬車一台には二人が乗り込んでいる。

 どうされましたか。アントンの対面に座る若い男、ミック・ウィンターソンが言った。まだ三〇にも届かないような人物だが、気勢がよく、よくも悪くも目敏い男であった。

「少し、考え事を。たいしたことじゃないさ」

 アントンは目を伏せて首を左右に振る。ミックからの追及はなかった。

 建物の密集した通りを走る馬車が徐々に速度を落とす。目的地に到着したというわけではなかった。ドアを開けてなかば身を乗り出し、御者の男に様子を尋ねようとして、眉根を寄せる。行く先の道のまんなかに人が二人立っているのが見えたのだ。深緑色の制服を着た年配の男と、同じ服装の若者で、ギーヴの街の自警団であることが知れた。

 アントンは馬車を降りて、御者に待機を命じると、男へと歩み寄る。

「失礼、イービスの自警団団長、アントン・ハガードです。ここでなにか?」

「お待ちしておりました、ハガード団長。ギーブ自警団所属のケネス・ミンターです」

 白い口髭を蓄えた男、ケネス・ミンターが軽く腰を折る。

「実は皆様にお伝えしなければならないことがあって、道をふさいでおりました」

「状況のご説明を願えますか?」

「まずはこちらに。大変申し訳ないのですが、馬車は降りていただきたい」

 ケネスの言葉を怪訝に思うような顔をしながらも、アントンは馬車のなかで緊急事態に身構える部下達へと命令を下した。

 ケネスは若者を道に残して、ジョザイア・スーベルの自宅のある場所を目指す。歩き始めたときに、彼がどうして道をふさいでいたのか、おおよそのことはわかってしまった。なにかの焦げた臭いがしたのだ。それに、道を曲がるとすぐに、黒く焼け焦げた建物がいくつも目についた。ここらはすでにギーヴの自警団が一般人の立ち入りを規制しているらしく、人通りはない。

「何者かが火をつけたようです。昨晩のことでした」

 目的地はすぐそこだった。ケネスは家の一つ、とくにひどく焼け焦げて、すでに跡形もなく崩れているのを示して言った。

「原因は?」

 アントンは焼け跡を睨みつけるように目を細めながら尋ねる。ケネスは鎮痛な面持ちで息を吐き出した。

「目下調査中ですが、何者かによる放火で間違いないでしょう。真夜中のことでしたので、目撃者もなく、いたとしても、すでに焼けてしまっているのですが」

 見計らったかのようなタイミングですね。小さく言ったのはミックである。

「ミック、口がすぎるぞ」

「申し訳ありません、けれど、」

 まだなにかを言いたそうなミックを軽く睨みつける。アントンは部下が黙ったのを確認してから、ケネスに向き直った。

「部下が失礼いたしました」

「いえ、そちらも災害があった直後で、いろいろとお忙しいのですから。調査は……こんな状態ですが、なさっていきますか?」

 ケネスは疲れているようだった。アントンはいいえと答える。

「こうなっては、もはやなにも得ることはできないでしょう。それに、いたずらにあなた方の時間を無駄にしてしまう。調査は辞退させていただきます」

 ご協力ありがとうございました。そう言って深く礼をする。ケネスも同じようにした。

「我々こそ、お力になれずに申し訳がない」

 アントンは最後にケネスに「健闘を祈ります」と声をかけて、踵を返した。背後で直立不動の姿勢をとり横並びになっていた彼らに戻るぞと一言告げて、通りを挟んだ家の表面も黒く焦げ付いていることに気が付く。隣接していなかったから大きな被害は免れたのだろうが、窓ガラスは割られ、おそらくなかは水にひたっていることだろう。もう住めはしない。

 ケネスに見送られて、その場をあとにする。再び馬車に乗り込むと、ミックが口を開いた。

「やはり、不自然です。まるで狙ったかのようにあの家が焼けるなんて。なにかを隠そうとしているみたいだ……たとえば、〝白騎士団〟のように」

 彼の言葉に、走り出した馬車の空気がわずかに張り詰めたものになる。〝白騎士団〟がどこかの家を襲撃したとき、証拠を残さないようにするためか見せしめか、その屋敷を焼き尽くすのだ。

 やめろと言ったのはアントンだ。彼は膝のうえで両手の指を組ませて、ふかくため息をこぼす。トルーマン家も〝白騎士団〟のことは警戒しているし、最近は災害があったせいか、アラスター・トルーマンが特に敏感になっているのだ。

「〝白騎士団〟のことは無暗に口に出すな」

「目を背けるだけではなんの解決にもならない。ハガード団長だって常々言っているじゃないですか」

「ミック、いいか? 我々はいつどんな敵が来ようとも、必ずトルーマン家とイービスの街を守る。たとえ相手が〝白騎士団〟であろうともそれは変わらない。だがなあ、それと無意味に恐怖を煽るのとは別だぞ。いま旦那様はとかく〝白騎士団〟に対して警戒を強めているんだ」

「あなたはただ怯えて虚勢を張っているだけに見える」

 ミックが目つきを尖らせた。アントンが不快そうに眉根を寄せるのも構わず、彼は続ける。

「〝白騎士団〟が怖くて仕方ないってふうに見えます。だから名前を恐れるんだ。勝てる自信がないんですか?」

 畳み掛けるような彼の言葉に、アントンはぐっと奥歯をかみしめた。黙れと一喝しそうになるのをこらえて、ゆっくりと口を開く。

「正直に言おう。私では〝白騎士団〟の団長はおろか団員にも勝てるかわからない。しかし私が倒れれば、トルーマン家は誰が守る? イービスの警護はどうなる? これが恐ろしくないわけないだろう」

 今度はミックが眉根を寄せた。誰もなにも言おうとしないなかで、彼はどうしてとこぼす。

「どうして、あなたがそんな弱気になるんですか?」

「軍の英雄を知っているか? 今回、災害の調査で派遣されている部隊の隊長でもある男だ。この前の会議で彼を見て思ったんだよ。『この男でも〝白騎士団〟の団長には勝てないのか』と。どう比較しても、私は彼の足元にも及ばないだろうにな」

 皮肉気に笑う。災害調査会議のなか、軍の英雄が「監視するために来た」と言い見せた威圧感は、いまでもはっきり覚えている。少しでも下手を打てばその瞬間に首をねじ切られそうであった。

 この話は終わりだと、アントンが全員に言い聞かせる。

「実際に出会うかわからない〝白騎士団〟のことより、目の前の問題にとりかかるほうがさきだ、そうだろう」

 はい。納得したかは別として、ミックがうなずく。

 アントンは背凭れにからだを預けて、そこにいる面々を見まわした。まずはそうだな、と、今後のことを話し始めたときには、ミックもなにも言わなくなっていた。

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