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“白騎士団”物語 1-20

『彼との婚約』

 災害から七日目の夜。トラヴィスはトルーマン家の一室に招かれていた。

 窓の広く取られた部屋だ。カーテンは引かず、高台にある屋敷からイービスの街を一望できる。淡い色合いの街頭が規則的に灯った街並みは、立体的なその輪郭をぼんやりとさせていて、幻想的でさえあるのだ。

 その窓辺には丸テーブルを置いて、夜景を眺めるように椅子を向い合せにする。壁際にある飾り棚は、ガラス戸の向こうに陶磁の大皿や水差しなどを並べ、人に見せるようになっていた。天井からは金色の房のついた上品な装飾がレースをともなって垂れ下がり、壁に吊り下げられたグロウフラワーのランタンの明かりを透かしている。飾ってある大きな風景画などは、その光をうけて額縁のなかで深い影を落としていた。

 トラヴィスとアラスター・トルーマンの前には、深い赤色のワインの注がれたグラスがある。テーブルの横には、金のワインクーラーが置かれていて、氷と水のなかに飲みかけのボトルが一本寝かせてあった。

「どうなりますかね、今回の件」

 アラスターがグラスをくゆらせる。ワインの表面が滑らかな曲線を描いて揺れた。

 トラヴィスは酒に手をつけない。乾杯に口元を湿らせた程度で、あとは放っている。

「それはあなたのほうがわかっているのでは?」

「私にはわかりませんよ。いまのところ、手がかりらしい手がかりはほとんどないのですから。それに、やはりあなたの頭脳には遠く及ばない」

「それはどうでしょうか。そうそう、ジョザイア・スーベルの研究室は? 自宅は焼失したと聞きましたが」

 肩を竦めて小さく笑ったトラヴィスの問いかけに、アラスターはなかばうなりながら首を左右に振った。

「研究室にはなにもありませんでしたよ。めぼしいものも、それ以外の研究道具、資料も」

 困りましたね。言いながら、トラヴィスは外の風景に目を向ける。見える景色は、災害などなかったかのように、平穏な姿である。

「そういえば、軍のフェル・ロッド大尉を指名したのはあなただと伺いましたが、ウォーカー博士」

「ええ、私ですよ。彼とはちょっとした縁がありまして。信頼に足る人物です」

 アラスターに顔を向けたトラヴィスは平然とうなずく。どこか非難するような声色などには、まるで気がついていないような態度だ。

「しかし、ずいぶんと粗野な人物ですな」

「それが彼の長所です。なによりも、彼は平等だ。聞きましたよ、昼間の一件」

 アラスターが苦い顔をしてグラスを口に運ぶ。自警団と軍の人物と揉めた話は、もはや災害調査の関係者のなかに知れ渡っているのだ。

「彼らしい判断だと思います」

「実のところ、あのあと、ハガード団長から軍の簡易拠点として自警団本部のラウンジを貸し出したいという話がありまして。私には理解のできない話です」

「監視下に置けていいんじゃないでしょうか? そうしたいんでしょう?」

 トラヴィスが見透かしたように笑う。アラスターは降参ですよと両手を軽く掲げて見せた。

「なにもかもご存知のようですね、あなたは」

 そんなことはありませんよ。トラヴィスがやんわりと言ったのと同時に、部屋の扉が開く。入って来たのは自警団の赤い制服を着た男で、彼は二人の傍らに立つと、一度深く腰を折った。

「ジェシカお嬢様が、お二人にご挨拶をしたいと仰っておりますが、」

「ああ、構わないよ」

 アラスターが鷹揚にうなずく。男は一度礼をして下がった。

 すぐに、若い娘が現れる。レースの飾りが肩口をうっすらと透かせる淡いピンクのドレスに身を包んだ彼女は、ジェシカ・トルーマンである。

「お久しぶりでございます、ウォーカー先生。それに、お父様も、ありがとうございます」

 ジェシカは愛嬌のある笑みを浮かべて、ドレスの裾を広げた。

「久しぶり、ジェシカ。最近授業ができていないけど、勉強のほうは進んでいるかい?」

「もちろんですわ。けれどやっぱり、先生に見ていただいたほうがずっといいんです」

 ジェシカ、と、アラスターが声をかける。

「いまウォーカー博士は忙しいんだ。あまり困らせるようなことを言うもんじゃない」

「いえ、実際、災害からほとんど彼女の授業ができていませんから。また落ち着いたら、ゆっくりと」

 トラヴィスの深い青色の目がジェシカに向けられる。彼女は深海のような色に吐息をこぼすようにして笑った。

「ぜひとも、お願いいたします」

 お邪魔して申し訳ありませんでした。そう詫びてから、ジェシカは退室する。最後に一度、トラヴィスに微笑みかけて。

 部屋の扉が閉じてから、アラスターは苦笑をこぼした。

「娘もずいぶん、博士のことが気に入ってしまったようで。申し訳ない」

「いえ、彼女のような子が生徒で、嬉しいくらいです。それに、素直で素敵なお嬢様だと思いますよ」

 トラヴィスが穏やかに笑うと、アラスターはなにかを迷うようにしながら、「そのことなんですが、」と口を開いた。

「娘も年頃だ。そろそろ、縁談をと思っていましてね」

「いいお相手が?」

「博士さえよければ」

 ご冗談を。トラヴィスは笑った。

「私よりもふさわしい人がいるんじゃないでしょうか。あれだけ美しいお嬢様なら、引く手数多だ」

「冗談などではありませんよ。あなた以上の男など、いやしないでしょう。学もあり、名誉もあり、なによりもその容姿ですから」

 テーブルに肘をつきなかば身を乗り出すようなアラスターの目を見据える。トラヴィスは笑うのをやめて少しばかり沈黙してから、小さく息をついた。

「少し考えさせていただきたい」

「娘はおそらく、博士との結婚なら喜んで受け入れるでしょう」

「そう言われてしまうと弱いんですよ。時間をください。せめて、災害の件が片付くまでは」

「よい返事を期待していますよ」

 アラスターがのしかかるような重みを持たせた声で言った。トラヴィスはそれにもちろんと軽やかに返す。アラスターは、トラヴィスとジェシカがどういう関係であるのか、知らないのだ。

 それからも彼らの話は続き、酒も勧められ、トラヴィスが解放されたのは、明け方が近くなったころだった。

 

 

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