top of page

〝白騎士団〟物語 1-2

白いコート

 〝白騎士団〟が現れたのは、五〇年ほど前になる。最初の標的はハルバルトの国境付近にある街を管理していた一族の屋敷で、一晩のうちに消し炭となった。生存者はいなかったが、街の住人の何人かから白いコートの人物を見たと報告があった。それからも、似たような襲撃がハルバルトを中心に各国で見られた。

 いつだったか、白いコートを着た彼らのことを〝白騎士団〟と称した新聞記者がいた。気づけばその呼び名が定着していた。それからしばらくして、団長は《クロック・ロック》と、団員は〝7人の刺客〟と呼ばれるようになった。

 敵はたった八人だが、その八人で我々を圧倒してきたこと、忘れるな――――上官の声が会議室に響く。彼の表情は険しく、眉根に深いシワを寄せて特殊編成の部隊を睨みつけていた。

 〝白騎士団〟討伐作戦のブリーフィングであった。数十人の整然と並んだ兵士達が正面の壁に張り出された大きな地形図を見ながら、何度もシミュレートされた作戦内容の最終確認をしている。

 森の奥に隠された〝白騎士団〟の拠点は既に知れているのだ。そこを防衛する魔術を突破して三方から波状攻撃を仕掛ける――――今回の作戦の概要は、そんな具合であった。夕暮れ時には敵陣防衛ラインを突破し、彼らの拠点に攻め入ってしまう手筈である。

 投入される戦力はかなりのものである。数はおよそ八〇で、その大半が若く、そして充分な経験を積んだ者であった。ただしそこに、件の英雄はいない。

 これで〝白騎士団〟も終わりだな――中程の列の壁際に直立するユウの隣で、若い兵士が小声で言った。自信と余裕に満ちた表情で、しかしその手がかすかに震えているのを、ユウは黙って見ていた。

 同じように、深い森のなか、隣の兵士が焼けるさまを、ユウは黙って見ていた。口を開けば喉が焼かれそうな熱気が当たりを満たしていた。膨れ上がる熱から身を守るために、どうにか使える火の魔術で爆炎を相殺してしまうのは、咄嗟の思いつきとしては上出来であった。

「さて、お目覚めかい?」

 重たい頭を持ち上げると、涼やかな声が耳に届いた。かすむ視界のなかにあるのは、ぼんやりとしたオレンジの光。燭台に乗った蝋燭が、ちろちろと炎を揺らしていた。

 徐々に焦点の合った景色は、見知らぬ場所であった。目の前には白地に金色の縁飾りの彫刻を施した長テーブルがあり、それを囲う背凭れの高い椅子には人が座っている。右手に三人、左手に三人、一番奥の辺に一人だ。体格こそまちまちであるが、いずれも白いコートを着て、フードを目深にかぶっている。ユウがいるのは、奥にいる一人と対面する場所であった。両手を後ろへ回され椅子の背凭れに括りつけられているのがわかる。

 視線だけを巡らせて見えたのは、広い室内の一部であった。高い天井には大きな吊り明りがあり、ちらちらとガラスの房飾りが揺れて光を反射している。壁際には白に金色の飾り紋様が描かれており、調度との調和を取っていた。左手の奥のほうに小さな扉があるが、あれは正面の入口というわけではないようだ。室内の装飾に対していささか大人しい。

「珍しいものでもあったのかな?」

 きょろきょろと視線を彷徨わせるユウに、一番奥の椅子に腰かける男が言った。目覚めに聞いた声であるし、意識が途切れる直前に聞いた声でもある。

 ユウは黙ったままフードの男を見据える。声からして若いことは確かだ。

「そう警戒しなくていい。っていうのは、無理な話かな」

 男が肘掛に腕を置き、ゆったりと体を凭れさせる。

 誰もが口を開こうといないなか、彼は落ち着き払った調子で続ける。

「なぜ生かされているのか、ここはどこなのか、聞きたいことは山のようにあるんだろう? 確かに、拷問をするのならもっと他の人間を連れてくるほうがいいし、人質にするにしても別の誰かのほうが利用価値がありそうだ。だが俺は君を選んだ、それはなぜか。聞きたいかな?」

「そうですね、それくらいは聞いておきたいです」

「率直に言うならば君を〝白騎士団〟に迎え入れたい」

 返答は早かった。ユウにはその意味がわからなかった。にわかに眉根を寄せて男を見るが、表情も見えなければ、挙動に変化もなかった。

「それこそどうして、って顔かな。軍人なら知っているのかもしれないけれど、〝白騎士団〟は三年ほど前に団員を二人も失った。その補充が実のところまだできていなくってね。一人は見つけたんだけれど、最後の一人が空席のままだ。討伐作戦の迎撃にはしっかりと八人いただろうって思うかもしれないけれど、そんなものは魔術でどうにでもなるんだよ。ましてや、今回〝白騎士団〟と軍が戦ったのは俺達の領域、何を仕掛けるのもたいして難しくはない」

 男は流れるように喋った。まるで川を流れる清水を見つめているかのように、言葉の意味が頭のなかに留まろうとしない。彼の声質がそうさせるのか、あるいは流暢な声音が原因なのか、ユウには判断しかねた。

「一度、挨拶をしておこうか」

 男が唐突に言った。彼は凭れていた体を起こすと、片手をフードの上のほうへ添える。ゆっくりと、白い覆いがはずされてゆく。

 シャランと、上質で繊細な糸のような髪が揺れる。銀灰色をしていて艶があり、頭の後ろでくくっているのが肩に垂れ下がって、月明かりを受けた川面のような様相を呈している。顔自体は形がよく、白い肌に深海を封入したかのような深い青色の目がよく映える。その目つきは鋭いものの、浮かべられた微笑は優しかった。声に見合う優男だ。

 彼は少しばかり上体を前に倒してテーブルに肘をつく。両手の指を組み合わせながらかすかに髪を揺らして色味の薄い唇を開いた。

「俺はトラヴィス・ウォーカー。覚えているかな?」

 現実の世界から切り離された幻想のなかにいるような男に見据えられ、ユウは身動ぎつつも考える。

 トラヴィス・ウォーカー。確かに聞いたことのある名前だった。顔にも覚えがある。それはどこだったか。

 記憶を辿ると、案外簡単に彼は見つかった。

「軍での、定期検査」

「そうだね。あのときは護衛ありがとう」

 これも国を守るためですから。こうやって貢献できることは、私としては何よりの喜びです――――あのときの青年の声が、いま穏やかに笑う彼の声と重なる。確かに、この人物だ。

「どうして、あなたが」

「正面から軍本部に入れる機会は、〝白騎士団〟としてはぜひ活用しない手はないからね」

 男は――トラヴィス・ウォーカーは事も無げに言うと、「さて、」と声音を落とした。

「俺もいくつか聞かせてほしい。君の名前と、生き残りたいのかどうかを」

「どういう意味ですか」

「いまは質問に答えるだけでいい」

 有無を言わせぬ力が彼にはあった。深海の色の目は少しも揺らぐことなくユウを見透かしていたのだ。

 ユウは喉が渇くのを気にしないようにしながら口を開く。

「名前は、ユウ・サヴァレ。私だってそれは、死にたくないです」

「軍を裏切ってでも?」

「軍はもともと好きで入ったわけじゃありません。家柄で、行かなきゃならなかっただけですから」

「〝白騎士団〟で生きていくのはどうかな?」

 どうして私を――――問いかけようとしたが、しかし彼の目はそれを許さなかった。「はい」か「いいえ」か、返答にはそれしか用意されていなかった。

「わかりました」

 迷うまでもなかった。拒否すれば確実に殺される。反抗したところで敵う相手でないことは既に知っている。

 でも、と、ユウはトラヴィスが何か言うよりも先に続ける。

「〝白騎士団〟のルールとか、どうして人を殺すのかとかは教えてください」

「もちろん教えるよ。まずは簡単なほう――ルールから」

 トラヴィスは背凭れに寄り掛かり姿勢を楽にする。長く息を吐き出し目を伏せる姿は、二〇歳前後だと思えていた見た目よりも遥かに年上であるかのように錯覚させた。

「〝白騎士団〟のルールはいたってシンプルだ。まず生き残ること。例えば団長よりも、一団員の命を優先して構わない。そうすることで〝白騎士団〟も生き残ることができる。それから、退団は死ぬこと以外認めない。もし生きて退団したいのなら、団長を殺してみせろ。あと、これは公式のルールではないけれど、暗黙の了解というものがあってね。団長の命令は絶対、だ。少人数とはいえ組織である以上頂点から下される命令には従ってもらわなければならない、ということなのだろうけれど、正直これはオマケ程度に考えてくれて結構」

 そこまで言い切るとトラヴィスはちらりと白いコートの人物のほうへと目を向けた。ユウから見て左手側の、一番近くにいる長身の人物である。誰よりも背筋をまっすぐに伸ばして、まるで彫刻か何かのように微動だにしない白い姿に、トラヴィスは人差し指を唇の前に添えて見せた。

 ユウにはなんのことだかわからない。黙っていろ、と言うには、指示された白コートの人物は静かすぎた。

 トラヴィスは何事もなかったかのように小さく笑う。

「気にしなくていい。さ、あとは、どうして人を殺すのか、だったね。それは当然、邪魔だからだよ。〝白騎士団〟が生きていくために、ね。人売りに活躍されては困る、たかが個人の兵力が強くなりすぎても困る、薬や偽金をばらまかれても困る、〝白騎士団〟に復讐心を燃やされても困る。いずれ彼らは〝白騎士団〟と対立することになるだろうから、その前にこちらから潰させてもらっているだけなんだよ」

「わかりません」

「ただの被害妄想とだけ思っていればいいよ、いまはね。ひとまずユウ、君の部屋にでも案内してあげよう」

 言うなりトラヴィスがすっと立ち上がる。彼は他の面々に向かって穏やかに笑いかけると、「警戒を頼むよ」とだけ告げた。

 席を離れたトラヴィスがユウの横を通り過ぎるのと同時に、ユウを椅子に縛り付けていた縄がするりとほどける。自由になった手首には、不思議と縄目の跡も何もなかった。

 背後でギィっと重たい何かの軋む音がした。おいで、と声がして振り向くと、トラヴィスが大きな扉を開けたところだった。

 白を基調に、金の彫刻で細かい装飾の施された扉である。大きさや華美なデザインは、やはりこちらが正面の入口なのだと物語っていた。

 足の長い椅子から降りて、招かれるままに扉の外に出る。吹き抜けのエントランスになっていた。足元には大理石の床が綺麗に磨かれており、規則的に並ぶ柱には淡い光を放つ火の灯ったスコンスがあった。左手の奥には階段があり、中腹から左右に分かれて二階部分につながっている。

 トラヴィスは階段を上った左舷に向かう。こっちだよと示した彼の左手の中指に指輪があることに気がついた。銀色のリングに、白く、そのくせ何色にも輝く宝石を品よくあしらっている。見知らぬ宝石に気をとられたユウは少しばかり遅れてトラヴィスの後を追う。目の前の白い背中には、髪がかかっている下に、炎を散らしたような真赤な蛇を模した文様が描かれていた。〝白騎士団〟のあの蛇だ。

「どうしてユウを選んだのか、答えていなかったね」

 等間隔にスコンスの並ぶ廊下を歩きながら、トラヴィスがふいに言った。火の明かりをちらちらと反射する床に、コツン、コツンと革靴の打つ音が響く。

「実力だよ。俺達はあの部隊を全滅させるつもりだったのに、君だけは生き残った。その実力と、おそらく生き残れるための環境が君にだけ与えられた強運。それから、」

 唐突にトラヴィスが足を止める。ふわりと振り向いた彼はユウの顔へと手を伸ばし、まるで警戒のなかった彼女の頬にやんわりと触れた。

 ひんやりとしていて、しかし不快感のない手であった。指はすらりと長く、その先のほうまでが柔らかく揃えられたさまは、不思議と抵抗する意思を与えさせなかった。

「ユウの目。晴れた日の、雲一つない空を映したみたいな、綺麗な目をしているだろう?」

「え、あ……」

「ただの戯言だよ」

 それだけ言うと、彼はまた踵を返して行ってしまう。

 頭がぼうっとした。触れられた頬がかすかに熱いような気がして、ユウは小さく首を左右に振る。先に行ってしまったトラヴィスを少しばかり早足に追いかけた。

bottom of page