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“白騎士団”物語 1-18

『ささやかな諍い』

 北地域中央研究所の災害から七日間が過ぎた。災害調査の進展は芳しくない。まず軍の立ち入り制限に関しては大きく緩和されたが、研究所近辺の警備強化及び一般市民の安全確保に専念してほしいと、遠回しにトルーマン家付近への接近は拒否されている。くわえて、ジーン・ホワイトリー少佐からは、前回の会合でのフェルの対応について厳重注意を受けることとなった。それが三日ほどまえにあったことである。さらに追加の項目が、いま手元にある。

 ハルバルト軍本部の執務室の一つ。飾り気のない広い空間に、木枠に石天板の執務机を六つずつ組合せ、その島を四組収めた場所の一角。一つしかない入口がよく見える奥まった位置に、フェルのデスクがある。インク瓶もペンも一セットしか置かず、かわりに、ページのすみがよれている辞書が数冊積み上げられているデスクだ。紙やなにかの資料を並べてあるほかの同僚と比べれば、ずいぶんと質素であった。

 いまフェルの手元にあるのは、三枚の紙である。どれも文字がびっしりと詰まっており、そのうち一枚は、研究所か研究者からの報告らしく、なにかの図のようなものと、表とが書かれていた。ひとまずのところそれは後回しにして、アラスター・トルーマンからの文章に目を通すのだが、これがまた難解な言い回しをするうえに、紙を置いた隣に辞書を開いて、しきりにそのページをめくりながらでないと、まるで内容がわからなかった。

 彼が悪戦苦闘しながらも一時間かけて読み取ったのは、自警団の調べによりジョザイア・スーベルの自宅は何者かの手により焼失していたのが見つかったということ、研究者のトラヴィス・ウォーカーが災害物質調査から外れ、アラスター・トルーマンとともに全体指揮を担当するようになったということと、物質撤去のために割り当てる人員の要求をしたいということ、そのさいに自警団との連携が必要となること、また、ディック・ヘンウッド所長を中心とする研究所のチームは、引き続きローディア・レイ博士の強力のもと、原因となったものの解析を続けるということだ。具体的な数字、目標日数や必要資料の期日なども書かれている。

 一枚目を読み終えて、長く息を吐き出す。そうしているうちに、フェル、と、後ろから声をかけられた。マライアだ。彼女は机上の書類を覗き込み、それから開いたままの辞書に目を向けた。

「あんた相変わらずそれに頼りっきりね。出身どこよ」

「……。フェイシオだ」

 辞書を閉じて答える。フェイシオは、ハルバルトの東部に位置する街だったが、過去の戦火によりいまはなくなっている。ちょうど、彼がまだ子供だったころだ。

 マライアはしまったという顔をする。

「あー……そうだったね、ごめん」

「気にしちゃいねぇよ。それより、自警団から人員要求がきてんだ」

「私に行け、って?」

 嫌だよとマライアは不服そうに言った。

 彼女のことを気にせず、フェルは二枚目の紙をめくる。あの物質の撤去のための招集状であった。ざっと見た具合では、現場での仕事の内容が記されているようで、署名欄もある。派遣するメンバーのなかの代表の名前が必要なのだ。

「あのでかいのの撤去作業だけなんだ、適当にやってきてくんねぇか?」

「あんたさ、それちゃんと読んでから言ってくんない?」

「魔術だなんだのことはよくわかんねぇ」

 そこじゃない。ぴしゃりと言い切り、マライアは書面の上部に書かれている仕事の詳細についての記述を指さした。

「いい? 撤去後の物質の管理、監視も仕事のうち。魔術による保護はするけど、それは軍側の仕事じゃないって、断り入っているよね? で、調査拠点をここに置くってのもわかるでしょ?」

 口早に言われて、フェルは迷惑そうに顔をしかめた。マライアほど正確に記述を読み解いてもいないから、納得もできない。

 マライアがため息をこぼす。

「フェル、あんた、この任務本当に嫌みたいね」

「本分じゃねぇんだよ」

 あっそ、と、呆れたようにマライアが相槌を返した。

 話は終わりだろう。フェルは再度書面に向き直ると、改めてそこに書かれていることの読解にとりかかろうとしたが、後ろから上着の襟を引っ張られる。なんだと振り向くと、マライアはまだそこにいる。

「ちょっと付き合いなさいよ。かわりにそれ読んであげるから」

 彼女は顎で執務室の外を示して、フェルが応じるよりさきに歩き出した。

 

 

 軍の食堂は、食事時でもなければがらんと静まり返っていることがたいはんだ。多くの兵士が訓練に励んでいたり、ほかの業務にあたっている時間などは特に。

 二列ずつ等間隔に並んだ木製の長テーブルの一角、室内の中央の柱に背を向ける位置に並んで腰掛け、フェルはマライアの話し出すのを待った。カウンター奥のキッチンのほうからは水を流す音が響いていて、それがいまは耳についた。

「あんたさ、なんか嫌なことでもあったの? この前の会議のあとからずっと機嫌悪いじゃない」

「なんもねぇよ」

「ジェイコブ・ガネル?」

「そいつは関係ねぇな」

 マライアがそれみたことかといった具合ににやりと笑う。

「じゃあどいつなら関係あんのよ」

「……。面倒くせぇな、お前」

 簡単な誘導尋問に眉根を寄せていたフェルががさりと頭をかいた。一度室内をざっと見回し、キッチンで男が一人黙々と清掃作業をしているだけなのを確認すると、わずかに声のトーンを落とす。

「トルーマン家のことでな。災害とは別にキナ臭い話があって、そっちの調査命令が出てんだよ」

「本分じゃないってそういうことね。そりゃあんたには無理な話だわ。バカだもん」

 躊躇う様子もなく言うマライアにうるせぇと素っ気なく返す。学もなく、頭の回転もとてもではないがよくないことも、充分に自覚していた。

 フェルは椅子の背凭れにからだを預けて、なにもない正面を睨みつける。

「実際会ってみて思ったが、アラスター・トルーマンはなんか隠してんだろうな。自警団のアントン・ハガードも、一枚噛んでんだろ」

「あんたの直感ってあたるのよね」

「それと、今回の任務、調査だからって気を抜くんじゃねぇぞ? 一波乱くらいはありそうだ。何人か死ぬかもしれねぇな」

 それも直感? 確信したように尋ねかけるマライアにうなずいて返し、フェルはちらりとカウンターのほうへ目を向ける。食事を提供する窓口であるそこのはじには、古い黄土色の置時計があるのだ。四角く短い柱のうえに半球を乗せたような形で、文字盤はあまり大きくないが、人混みに隠れてさえいなければ、読み取ることは難しくない。

 一〇時三〇分をまわったところだ。もうじき、ここにも人が入りはじめる。

「そろそろ仕事に戻るぞ。イービスの巡回も交代の時間だろ」

 フェルが席を立ったところで、食堂の入口が開く音がした。若い男の兵士が一人来たのだ。背が高く肩幅もある青年で、濁ったブロンドを短く刈り込んだ、勇ましい顔つきの人物である。左の肩にある階級章は軍曹のもので、フェルの部隊の兵士であった。ダライアス・ダウニングだ。

 彼はフェルとマライアをみつけると、まっすぐに二人に歩み寄った。

「大尉、ガネル少尉が自警団と揉めています」

「はあ?」

 顔をしかめたのはフェルだ。ジェイコブは信頼こそできないが、そういったトラブルを無暗に引き起こすような兵士にも思っていなかった。

「スリ犯を少尉が捕獲して、その身柄の処遇でどうとか。とりあえず、少佐に連絡がいくまえに大尉に伝えないとってことで、自分が来ました」

 直立不動の姿勢をとったダライアスは極めて冷静に報告した。だが、その顔つきには、不満のようなものが窺える。

「こう言っちゃなんですが、ガネルの野郎は、正直この部隊には邪魔なんじゃないでしょうか」

「まあ、あいつにもあいつの仕事があるってこった。とりあえず、そっちに向かう。マライア、引き継ぎは任せだ」

 はいよ、いってらっしゃい。マライアは慣れた様子で応答する。それもわかりきっていた様子のフェルはダライアスに頼んだと一言。彼は転移魔術をはじめとするすべての魔術が使えないし、部隊のメンバーはそれを承知していた。

 転移魔術は、足元がなくなるような浮遊感がある。目の前が不自然にゆがんで、場所の感覚が曖昧になる。人に連れられて何度も経験しているが、これが実のところ、あまり好きでなかった。

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