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“白騎士団”物語 1-17

『かの正体』

 ハルバルト国内の都市部にある住宅街。国内の富裕層が集まるこの場所に、ローディア・レイの自宅がある。

 煉瓦造りの建物が不規則でありながら整然と並ぶ街並みが美しい場所だ。どの家も庭やテラスを持ち、まるで絵画に見立てようとするかのようにすみずみまで手入れをしている。そのなか、夕日が差し込む小さな庭の飛び石の間からは雑草が生えて、低木も枝を乱し放題にしている家がある。ローディアの住む場所だ。彼は自分で庭先を整えることもなければ、庭師を雇うこともしないでいるのだ。

 フィルドは石畳の道より一段高い場所にある庭に踏み込んで、苦笑を浮かべながら玄関の前に立った。こつこつと、ノッカーを鳴らす。昨夜に訪れても返事がなく、寝ていることがわかったのでこの時間に再度訪問したのだ。

 ほどなくして室内から応答がある。ドアが少しだけ開いて、隙間から覗き込むようにして現れたローディアは、黒い服のうえによれよれの白衣を羽織った姿で、髪などはぼさぼさのままであった。

「……。なんの用」

「少し相談したいことがあったんだけど、寝てた?」

 こくりとうなずき、ローディアはドアを大きく開ける。不平をこぼすのでもない様子に、フィルドはむしろ悪いことをしたと後悔する。

 家のなか、廊下の壁には、紙が幾枚も貼り付けられていて、流れるような雑な文字が躍っている。研究や仕事のメモだった。足元には剥がれ落ちたものや、少し前の新聞などが放り出されていて、掃除は行き届いていないことがわかる。

 まっすぐな廊下の突き当たりは地下室への階段があるが、そこまで行かず、途中にあるドアを開くとキッチンとリビングルームになっている。この部屋もずいぶんと散らかっていた。窓辺はすべてカーテンを引いて、白いグロウフラワーのランタンをいくつも壁から提げて室内を照らすが、そのランタンも金具部分が錆びている。リビングの半分はまるで図書館か書庫のように本棚が並んでいて、木目調の広いテーブルはあるが、そのうえなどはハードカバーや丸めた紙が山となっている。暖炉はとうに使わなくなっているようで、かわりに部屋の中央、書架の群れが途切れたあたりに置かれた大きなソファには、毛布がいくつか積み重なっていた。

「片づけたほうがいいんじゃないかなあ」

 ローディアに連れだって室内に入り込んだフィルドは、以前から変わらないローディアの生活ぶりに苦笑をこぼす。

「うっさい、ここに置いているんだからいいんだよ」

 ソファに深く腰掛け、ローディアは毛布を抱きかかえる。ついさっきまで、ここで寝ていたのだろう。忙しいときなどは、寝室に行かないのが彼だ。

 フィルドはキッチンに立つ。壁と柱で仕切られただけで、入口にドアのない作りになっていた。

 ここの明かりはついていない。調理台に置かれたランタンにグロウフラワーはあるが、いまは暗く、加工されて丸いガラス玉のなかで小さな粒の集まりになった姿がうっすらと見える。窓は閉ざされたままで、カーテンが閉め忘れたように少しだけ開かれている。しばらく立ち入っていないことが窺えた。

 ランタンに近づいてかざした手を軽く振る。グロウフラワーに、ぼうっと白い明かりが灯った。魔力を与えて刺激を加えることで発光し、消すときには魔力を完全に遮断する必要がある。

 照らされたキッチンは、散らかってこそいないが、物が少なく見えた。背の低い簡素な木枠のワインセラーにはボトルがいくつか収まっているが、食器棚などにはグラスやマグカップがほんの少しあるのがガラス戸越しに見えるだけだし、皿なども本当に数える程度しかないのだ。水道をひねると水は問題なく流れるのだが、オーブンなどはまるっきり使われた形跡がない。紅茶でも淹れようと思っていたのだが、棚や引戸を開けても茶葉が見当たらない。

 一度リビングに顔を出すが、なにもないよと、いまさらなことを言われた。仕方なく眠たそうなローディアの隣に腰を下ろす。

「ちゃんとご飯食べてる?」

「余計なお世話。それより、用件は?」

 ぴしゃりと言われても意に介したふうもなく、フィルドはえっとね、と口を開く。

「ちょっと前に、変わった精霊に会ったんだ。そのことで、気になって」

「精霊ならお前のほうが詳しいだろ」

「そうでもないよ。俺は、いままで見てきた精霊のことしか知らないから」

 ローディアはなにも言わない。話を続けろという意味だと受け取り、フィルドは迷うようにがさりと頭をかく。

「街のなかでさ、たぶん、木とか森とかに棲んでいるはずの精霊がいて、人間のところで働いていたんだよね」

「どこの街だよ」

「イービス。ほら、あの災害があった研究所の」

 なんて名前だっけ。記憶を辿るが思い出せないでいるうちに、ローディアが北地域中央研究所と冷たく言う。

「トルーマン家の領地だよ、次の標的だってトラヴィスが言っていた」

「言っていたねぇ。あそこ、正直精霊が棲むような森はないんだけどな……」

 足元に視線を移す。古い紙の束がくしゃりと折れ曲がって落ちていた。

 隣でローディアが立ち上がる。こっち、と、彼は一度リビングを出た。あとを追うと、地下室に向かっているようだった。寝室や、バスルームのあるところへ向かう曲がり廊下を無視して、まっすぐに行く。ドアを開けて壁掛けのランプが照らす石造りの階段を下りた。フロアのすぐ右手にドアが一つあり、そこが研究室だ。

 なかはずいぶんと広いが、物も多い。入ってすぐ脇のところには書架があり、なにか必要な書物や、ローディア自身の研究課程をまとめたらしい紙なども一緒に詰め込まれている。正面には大量の薬品棚と薬瓶が、中央には実験に使うテーブルや、薬品などの醸造のための器械がある。水道も引いてあるし、鍋や竃などもそろっている。室内の一角には木製だったり鉄製だったりする大きな木箱がいくつも積み上げられていた。入口のあるのと対角になる位置にもドアがあるが、その先がどうなっているのか、フィルドは知らない。

 ローディアは実験台のうえに並べられたシャーレやら薬品やら紙やらのなかから、試験管を取り出すと、それをフィルドに差し出した。なかには、粘り気の強い黒色の液体が入っている。

「川の子だ」

「もっと詳細に言えないのか?」

 試験管を目の高さに持ち上げてまじまじと中身を見つめるフィルドに、ローディアは眉根を寄せて見せた。

「ごめん……。川にいる精霊が、自分の魔力を分裂させて、こういうの作ったりするんだ」

「研究所で災害になった物質だよ。まるでそれが生き物みたいだった」

「生き物だよ。自分達で考えて、大本の精霊の命令に従う」

 試験管をローディアに返す。災害やトルーマン家に精霊が絡んでいると聞いて、イービスの街で見た精霊のことを疑ったのだが、どうも見当はずれだったようだ。ローディアもそれを悟ったから、これを見せたのだろう。

「俺の考え違いだったみたい」

「あっそ。じゃ、話は終わりでいい? 眠い」

 試験管を木製のホルダーに戻すと、ローディアがあくびをこぼす。

「ごめんねぇ。それじゃあ、調査頑張って」

 返ってきたのは舌打ちだった。連れ立って研究室を出て、リビングに行くローディアと別れて家を出る。一度〝白騎士団〟の屋敷に戻ってから、自宅に帰るつもりだった。

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