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〝白騎士団〟物語 1-1

プロローグ

 敷石の中庭を抜けて別館へ入ると、ガラスの房飾りの垂れたシャンデリアの釣られたエントランスがある。右手の通路は途中から階段になっており、途中直角に曲がって二階に続いていた。

 壁にかけられたスコンスの火が大理石の廊下をちろちろと照らしているのを遮るように走り抜け、深い茶色の扉を蹴破る。テラスの手前に置いた背の高い翡翠の椅子はあたかも玉座のように佇み、そこに腰かける青年はまさに王そのものであった。

 

 

「どうですか? 修繕の必要は」

 やや遠くに聞こえた上官の声に、ユウはハルバルト軍本部外周を囲う防壁へ目を向ける。内外の行き来を拒絶するように高く聳える白い壁。分厚い門扉の左右を支える柱の上部のほうには、国と軍の紋章がそれぞれ刻まれて、真昼の陽光を受けて濃い陰影を残していた。

 上官の隣に並んで立つ青年が、防壁を見上げていた顔を正面に戻す。

「見たところ、これといった問題はありません。けれど念のため、補強用の素材のリストと補強方法をまとめておきますね」

 青年が微笑む。深海を封入したような色の目が、まるで磨き上げられた一つの宝石のようであった。温かいそよ風に銀灰色の髪を揺らして、彼はユウに目を向ける。

「定期検査はこれで一通り終わりということですから、護衛、ありがとうございました」

「いえ、別に……」

 品よく腰を折る青年に首を振って答える。ユウはちらりと上官を見遣って、ピシッと敬礼をした。

「いつも、お疲れ様です」

「これも国を守るためですから。こうやって貢献できることは、私としては何よりの喜びです」

 青年が穏やかに言う。柔らかい風が、彼のシミ一つない白衣の裾をかすかに揺らした。

 ユウにはよくわからないことなのだが、彼は魔術師で研究者でもあるらしい。年に一度、世界中から選ばれた魔術研究の最高峰だけが召集される『世界大会』にも、何度か顔を出しているのだとか。見た具合ではまだ二〇代の後半にも差し掛からないような若者だが、その頭脳は世界レベルということだ。

 青年と上官とが一言二言言葉を交わし、軍のなかへと戻ってゆく。外壁を囲う森林の木葉の音を聞きながら、ユウもそのあとに続いた。

 

 

 もう五〇年にもなるのか――――バーナード・シャープ少尉がぼそりとこぼした。

 訓練を終えた兵士達でごった返す食堂の片隅で、彼は片手の新聞を机上に放り出す。書かれているのは、『またも〝白騎士団〟の襲撃 敗北の軍隊』の見出しである。天上から吊り下げられている小さな明りが照らす記事には、夜空を煌々と駆け抜ける炎の蛇と、それに飲まれる一つの屋敷の写真が載せてあった。

 テーブルの端の席、壁際で一人硬いパンを齧っていたユウは、斜め前に陣取るシャープにちらりと目を向ける。彼の背後では、また始まったと言わんばかりの呆れ顔をした兵士が数人、遠ざかって行った。

 サヴァレ、と、枯れかけの声がユウを呼ぶ。

「お前は〝白騎士団〟を見たことがあるか?」

「いえ」

 ぱさぱさと乾いたパンを飲み込んだユウが小さく首を左右に振る。

 食器を鳴らす音に話声の入り乱れるなかで、シャープは長く息を吐き出した。

「俺はあるぞ。もう、四〇年以上も前になる。まだまだガキだった俺は、小さな田舎町に住んでいた。そこでは当時、子供の失踪事件が後を絶たなくてな。いまでもたまにあるだろう、そういうこった。あんときゃ俺もいつか攫われちまうんじゃないかって不安がっていたが、そんなことはなかった。いよいよ子供が少なくなってきたってころに、連中が来た。夜二階のベッドで眠っていた俺は、最初花火でも上がったのかと思った。窓の外が昼間みたいに明るくなって、驚いて起き出してみると、街一番の金持ちの屋敷が燃えていた。空高くに真赤な蛇が昇って行って、屋敷全体に火の粉をまき散らした。街中が騒ぎになった。俺ん家だけじゃねぇ。通りの向こう側の家も、すぐ隣の家の奴もみんながみんな外に出て、ぼけっと屋敷を眺めていた。火の熱気が随分離れた俺のとこにまで届いていた。俺は突っ立っているのが我慢ならなくて、真っ直ぐに屋敷を目指した。屋敷はそれこそ混乱の坩堝だった。使用人も誰もが無関係に焼かれていて、黒焦げになったその向こうに白い影が見えた。〝白騎士団〟だった。俺は慌てて逃げ出した。近くには商人が倉庫代わりに使っている建物が多かったから、そこに隠れて朝を待った。陽が昇ったころには、屋敷はすっかり灰になっちまって、あとには誰も残っちゃいなかった。子供の失踪も、ぴたりとなくなった」

 シャープが言葉を切る。彼は手元のパンとスープとを見つめると、ゆっくりと頭を振った。

「……軍は、来なかったんですか?」

「来なかった。仮に来ていたとしても、太刀打ちできんかったろうよ。いまの軍を見てりゃわかるだろ、〝白騎士団〟にたったの一度だって勝てたことがねぇ。……負けなかったことなら、一度だけあるか」

 顔を上げたシャープが小さくうなる。ユウには、彼の言いたいことの予想がついた。

「三年前、だったか。一人の兵士が、〝白騎士団〟の団員を二人殺して、団長にも深手を負わせたことがあったな。フェル・ロッドって若造でな、いまは大尉だ。あれが軍の希望であり英雄でありってんだから、笑い話もいいとこだ」

 渇いた笑いをこぼすシャープに、ユウは笑わなかった。

 例の大尉の噂ならば彼女も聞いたことがある。直接会ったことはないが、よくも悪くも話題にされやすい目立ち方をしていた。

 最後の一口のパンを口に放り込む。木の古い器に注がれた味の薄いスープでそれを流し込み、ユウは席を立つ。シャープには「お先に失礼します」と会釈だけして、その場を離れた。

 長テーブルがいくつも並んだ間の通路は狭くて、所々にある柱が余計に通行を妨げる。そのうえこの時間は泥まみれの兵士が道を塞ぐ。壁に張りつくようにしてのろのろと入口を目指して、建てつけの悪くなった扉を押し開ける。一歩食堂を出ると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。喧騒も一瞬で遠のいて、古くて弱い明りのなかで人が犇めいていたのが嘘のように感じられるほどだ。

 左右に伸びる通路に人は少ない。壁に張り付けられたランタンで照らされるのは、傷だらけの壁や床がほとんどであった。

 埃っぽい匂いがした。換気口に汚れでも詰まっているようだった。

 通路の先には地上へ出る階段がある。すぐ外につながっているのだ。屋内を伝って上の階に行くには、また別の階段を使う必要があった。

 冷たい夜風が吹き込む。さすがにもう雪は降らないが、それでもこの時間は冷え込んだ。

 外へ出ると、月明かりが飾り気のない建物を淡く映し出していた。

 山を切り崩して作られた軍施設は、その敷地内にいくつもの独立した建物を持っている。焼き石の壁に窓が規則的に並んだデザインですべてを統一していて、傍目には集合施設といったほうがしっくりくるかもしれない。

 建物同士の間を走る道には、所々に街燈が立っている。鉄製の柱にランタンをぶら下げたような街燈だ。

 山の深いほうへと続く道は暗くなっている。こちらには新兵と下級の兵士の兵舎しかないのだ。

 ブーツが土を踏みつける音が耳につく。喧騒がまだ背後にかすかになって聞こえていたのが、もう遠い昔のようだ。

 街燈の下を通って暗闇に入る。と、少し前にある影が見えた。人のようだった。負傷した兵士でも担いでいるような姿である。あ、と、声がこぼれる。火の光の元に差し掛かったときにちらりと覗けた彼らのうちの一人には、覚えがあった。

 担がれている人物がゆるりと視線をユウへと向ける。彼もユウと同じように声をこぼした。

 先を行く人物が足をとめる。振り向いた姿はまるで知らない人物だった。若い男だが、彼が背負う新兵の制服とも、ユウの着ている兵士の制服とも違う服装である。将校以上の人物にあつらえられる服だ。

 知り合いか? 将校の青年が、背中に担ぐ新兵の少年に問いかける。少年は小さく頷いた。

「訓練で、ときどき一緒になります」

「同期ってわけじゃねぇのか。お前も兵舎に戻るところか?」

 青年がユウへと目を向けた。鋭く尖ったような黒い目であった。顔つきにも隙がなく、意思の強そうな人物である。年は二〇代前半から半ばといったところだろうか。軍のなかでは珍しい、小柄な人物であるようだ。

 彼の背負う少年はさらに華奢である。ユウも線の細いタイプではあるが、少年は少女である彼女と比較しても大差のないくらいであった。

 ユウは青年に「はい」と短く答えて、少年のほうを見る。少しばかり罰の悪そうな顔をしていた。

「こいつ、任務中に怪我してな」

 青年が背中の少年を示しつつ言う。

「当分まともに動けねぇだろうし、見かけたら気にかけてやってくんねぇか」

「了解です」

 ユウはピシッと敬礼を返す。襟元の階級章を見る限りでは、青年の階級は大尉、上官にあたるのだ。

 しかし青年はゆるく首を左右に振った。

「別に命令ってわけじゃねぇよ、ただの頼み事だ」

 そして彼は踵を返す。それぞれの兵舎が見えてくるまで、ユウも彼らに同行した。

 

 

 人の焼け焦げる異臭が鼻をつく。間近まで迫った熱気が肌を焼いた。爆風で弾き飛ばされた体は感覚を失ったように動かず、折れた大木の根元に力なく横たわった。

 足音がゆっくりと近づいてくる。視線だけを動かしてようやく見えたのは、白いコートに包まれた姿。目深にかぶったフードのせいでその顔は窺い知ることができないが、彼らがここで敵を見逃すような人間でないことだけは知っている。

 コートの人物の腕がユウへと伸びた。襟首を掴まれて、軽々と持ち上げられる。抵抗するだけの体力は残っていなかった。

「待ちなよ」

 朧にかすみ始めた意識の向こうで声がした。木々が燃えて夜空を昼間のように変えてしまう空間のなかで、ひどく場違いな声であった。まるで、澄み切った湖の畔に立つかのような、心地良い冷たさと潤いとをふくんだ声なのだ。どこかで聞いたような覚えのある青年の。

「よく生き残ったね、たった一人だけ」

 声の主は、いまユウを捕まえる人物のわずか背後にいた。すらりとしたシルエットに、白いコートを着てフードを目深にかぶっている。

 《クロック・ロック》と、誰かが呼ぶ声がした。その声は冷淡に続ける。

「それをどうなさるおつもりで?」

「連れて帰る。始末するなら、その後でもできるだろう」

 青年はさも当然のことのように言った。直後、彼の白い影がゆるやかに腕を振るのが見えた。

 細い糸でかろうじてつながっていた意識が途切れる。ユウは視界の暗くなるのを黙って受け入れるほかなかった。

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