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“白騎士団”物語 1-25

​『臨時調査会議』

 研究所で二回目の災害があった日の夕刻。最初の会議を行ったのと同じ場所に召集されたトラヴィスは、円卓に集まった面々を見て首をかしげる。フェルの隣にいるのが、ジェイコブ・ガネル少尉ではなく、大柄な女兵士だったのである。

 会議の始まる直前、彼女は周囲の怪訝そうな視線に答えるように口を開いた。

「すいません、ガネル少尉の会議出席が困難であったため、かわりに出席させていただきます。部隊の副隊長を務めます、マライア・フラーです」

 落ち着いた声であった。彼女は室内の飾り棚や窓辺に引かれた刺繍の見事なカーテンなどには目もくれず、その場に集まった面々をさっと見ると、それきり黙ってしまう。ジェイコブも同じようにしていたことを思い出した。

 やがてアラスター・トルーマンの声とともに会議が始まる。

「皆様ご存知のとおり、本日の一三五七時に発生しました災害に関して、まずは現在の状況から確認いたしましょう」

 彼はほとんど対面に座るディック・ヘンウッド所長に視線を投げかける。ディックは唸るような声をこぼした。

「現在は研究所周辺に防護壁用魔術を施して人の立ち入りを禁止しています。また、例の物質ですが、活性化してからはどの薬品も受け付けず、再度無力化することが困難な状態にあります。隔離のほか、これといって手段がないのが実際です」

 ディックのすぐ隣から、円卓のなかほどに視線を落としたままのローディアが口を挟む。

「一応、対応できるような策を探してはいるけれど、迂闊に近づけないうえに、ああいうものだからサンプルの採収ができなくて、たぶん、前回以上に時間がかかる」

 彼の言葉に、トラヴィスはそうですねとうなずく。

 同じ薬品が通じない点からするに、物質の性質になにか変化があったと考えるべきでしょう。言うと、すぐにディックからの同意があった。ディックはさてどうすると試すかのようにアラスターへと目を向ける。自然と、ほかの面々の視線も彼へと向かった。

「さきに、今回のことでの被害状況を確認してもよろしいでしょうか」

 円卓に肘をつきからだを凭れさせていたアントンがわずかに眉を動かす。短く息を吸った彼の声には、鎮痛な響きがあった。

「我々自警団での死者が六名、作戦行動困難な重傷が二名、軽傷が四名です」

「軍の死者はゼロだ。全員、いつでも動ける」

 続いたのはフェルだった。マライアは彼の邪魔をしないよう黙っている。

 ウォーカー博士。アラスターがトラヴィスの判断を仰ぐように見遣る。トラヴィスは円卓のうえで両手の指を組ませた。

「こうなっては、できることは限られているでしょう。ヘンウッド所長とレイ博士には引き続きあの物質の対応策を考えていただくとして、軍の方々には研究所周辺の警備をお願いしたい。自警団の皆様には、街全域の――――」

 言いかけたところで、大きな両開きの扉が騒音とともに開いた。入って来たのは、右腕を包帯で首から吊った自警団の若い男であった。

「緊急事態です! 研究棟が……全研究棟が焼け落ちました」

 男の報告にその場の全員が言葉を失う。柱にさげたランタンのなかから火の燃えるかすかな音が響くばかりのなか、やがて口を開いたのは、アントンであった。

「ミック、説明しろ」

「何者かが研究棟に火を放ったようです。消化にあたった団員からは白いコートを見たとの報告があったきり……連絡が途絶えています」

 〝白騎士団〟か。フェルがこぼした言葉に、アントンが鋭い目を向ける。最初の会議のときのような笑みはすでになく、見えない白い影に追われているさまが見て取れた。

 トラヴィスは微笑をひそめた顔つきでミックと呼ばれた自警団の団員を見遣る。

「研究棟の様子を見ることはできますか?」

「はい、すぐに」

 ミックが軽く指を鳴らした。円卓の中央上部、なにもない空間の空気が陽炎のように揺れ動き、一つの風景を見せる。水面に景色が映り込むさまを連想させるのは、トルーマン家の研究施設が赤々とした火の海に落ちた姿であった。そこに生きた人はいない。

 ふむ、とうなったのはディックであった。

「どういった経緯であれ、これでは予備のサンプルも過去の解析結果もなくなってしまいましたね」

「その心配よりさきにやることがあるんじゃねぇか?」

 フェルは「マライア、」と一言。呼ばれた彼女は了解と応答して席を立ち、ミックへと向き直る。

「手の空いている兵士を連れて応援に向かいます。指示を」

 感謝します。応答したミックがアントンを一瞥する。行けと許可が出ると、彼はマライアを引き連れて部屋を出た。円卓上にある陽炎が消え失せる。

 さて。トラヴィスが落ち着いた声で言う。

「仮に、トルーマン家の研究棟で白いコートを見たという報告が間違いでなく、かつ、それが〝白騎士団〟であったとしたら、災害処理どころではありませんね。急いでここを離れるべきでしょう、命が惜しいのなら、ね。もし楽観的な見方をするのならば、白いのはコートでなく、犠牲となってしまった研究員の誰かの白衣であったとする考えでしょうか」

 アラスターへと目を向ける。顔色の蒼褪めているのがよくわかった。唇の色がすっかり失せている。

「……。退避、しましょう。全員、速やかに」

 眉間に深い皺を刻んだアラスターが静かに言った。

 おやおや。ディックが見透かすように目を細める。

「なにか、〝白騎士団〟に狙われるような心当たりがおありで?」

「なにを……」

「いいえ、なんでも」

 軽く答えて、彼は席を立つ。退避しましょうと涼しげな声で告げると、アラスターへ立ち上がるよう促した。一方で彼は腰を上げない。目つきを尖らせた顔には血の気が戻り、円卓に集う面々を睨みつけるように見る。

「アントン、動ける者をすべて屋敷の警備に回せ。軍の方々には、消化が済み次第、北地域中央研究所のほうへ向かっていただきたい。大尉にも、ぜひ」

「怖気づいて逃げ出すんじゃなかったのか?」

「〝白騎士団〟は来ない」

 訝しむようなフェルに、アントンははっきりと言い切った。

 来るならとうに、我々の命はなくなっている。迷いのない彼の声に、トラヴィスは笑みを浮かべた。

「確かに、そうかもしれませんね。では会議は続行で?」

「いや、これだけのことが起こったのですから、会議でいま以上の成果は得られないでしょう。しかしこの家かあるいは研究成果を狙った人物がいるのは確か。ならばさらなる被害を防ぐために守らなければならない、違いますかね?」

 いいえ。トラヴィスはゆっくりと首を振る。

 こうして会議は終了となった。

 

 

 〝白騎士団〟の屋敷へと戻ったトラヴィスは、白衣ではなく白いコートを着て、三階にある自室に入った。広いが、物が多く置いてある部屋だ。屋敷の正面が見渡せるテラスのある窓辺にはレースのカーテンを引いていて、その手前に上等なソファとローテーブルが置いてある。部屋の奥、目隠し用の薄い垂れ幕の向こうには大きなベッドがあって、そのサイドテーブルのうえには古めかしい木製の時計が乗っていた。文字盤を書くのではなく彫ったもので、盤のほぼ中央、丸く穴があけられた奥にいくつもの歯車が見えるものだ。腰の高さほどの背丈のシェルフのうえにも、それとは少し違う、陶器で造った時計があった。壁からは丸いのや振り子の大きなものなどがかけられていて、みな一様に秒針の音をたて続ける。ビューローのうえにはインク瓶と羽ペンとがそろえてあるし、書架にある本も順序良く並べられていた。調度品はいずれも木枠に少しの金色の装飾が彫刻されているシックなもので統一してあって、よく掃除がいきわたっている。

 トラヴィスは窓に背を向けるソファに腰を下ろすと、続いて室内に入ったローディアに目を向ける。

「まったくひどいものだったね」

「思惑が外れただけだろ」

 白いコートを羽織った姿のローディアはトラヴィスの対面に腰を下ろした。

「ディック・ヘンウッドが余計なことをしてくれたからね。アラスターを屋敷から遠ざけたくなかった、というよりは、屋敷が軍の管轄下に入るのを嫌がったんだろうね。彼もトルーマンの屋敷に用事があるようだ」

「精霊に勘付いている、とか?」

「いや、偽金のほうだろうね。災害調査でトルーマン家が乗り出したときから、ずっと狙っていたように見えるよ」

 背凭れに肘を乗せて天井を仰ぎ見る。トラヴィスは吊り下げられた球体のガラスのなかで光の粒子が躍るのを見た。

「偽金の出所はトルーマン家で間違いなかったよ、シルヴィオと確認してきた。それについて、軍のジェイコブ・ガネルも部隊長の指揮外でなにか嗅ぎ回っているようで……もうある程度は察知しているはず」

 どうするんだ。ローディアが眉をひそめる。

「明日の夜、終わらせよう。ローディア、昼間のうちにフィルドと精霊の確認をしてきてほしい。ついでに、偽金も」

 ほら。トラヴィスは身を起こしてコートの内ポケットから一つの鍵を取り出す。金色がくすんだ古びた鍵だ。頭の部分には、植物を模した紋様が刻んである。ジェシカ・トルーマンが持ち出したものだった。

「それはいいけど、夜はどういう計画でやるんだよ。なにも聞いていないぞ、俺たち」

「オウガとスノウは念のために屋敷に待機してもらって、あとは彼以外の全員で行くつもりだよ。もちろん、ユウも」

 笑みを浮かべるトラヴィスの前で、ローディアが鍵を受け取りながら顔をしかめる。納得がいっていないのは「なんで」とこぼした声色からもよく伝わった。

「元軍人って言っても、子供だろ。それに、まだ信用できない」

「信用するために一緒に来てもらうのさ。大丈夫、俺がしっかり監督する」

 ローディアはまだ不服そうな顔をしている。トラヴィスはゆるく笑った。

「昔からお前は、すごく警戒心が強かった。俺がなにをしても、なかなか懐いてくれなくて。覚えているかい? お前がまだ小さかったころ、何度もダメだと言ったのに、襲撃にこっそりついてきて、怪我をした。きれいな湖がすぐ近くにある場所だったね」

 あのときは確か、朝焼けの空が湖面に映り込み、近くに広がる森の木々のあいだを涼しい風が吹き抜けていた。冬の入口だ。トラヴィスは幼いローディアの小さなからだを抱えていた。生暖かい血の温度に、柔らかい肌の感触は、いまでも鮮明に思い出せる。

 肩のあたりに深い傷を負ったローディアは、弱い呼吸を繰り返していたのだ。ずっと遠くで〝白騎士団〟の団員が標的の屋敷を焼き払う音を聞きながら、必死に止血をした。本当は拠点に戻りたかったが、それができない理由があった。

 懐かしいね。思い出しながらこぼしたトラヴィスに、ローディアは眉根を寄せて見せる。

「そんな前のこと蒸し返さなくてもいいだろ」

「俺にとってはごく最近のことに思えるよ。でも、あのときからだ。ローディアが俺を信用したのは。ずっと迷っていたんだろう? 俺のもとにいるべきか否か」

「……」

 ローディアは答えなかったが、それでよかった。トラヴィスはゆっくりと半身を起こし、前かがみになる。

「言葉で教えるより見せたほうが早い。それから、彼女には改めて入団の意思を問わせてもらおう」

 一度柔らかいソファから立ち上がり、テラスのそばへ行く。格子にガラスをはめ込んだ外開きの窓から枯れ果てた庭を見下ろすと、夜の暗がりのなかに小さな人影が見えた。ユウだ。薄青色のワンピースのうえに白いコートを羽織って、なにもない石畳のうえを散歩している。庭の中央にある水の尽きた噴水のオブジェを覗き込み、次に石畳脇に規則的に並んだ枝葉の朽ちかけた木の列を見る。屋敷の外周を囲う石壁の内側ならば出歩くことは許可しているから、ときどきこうして散歩をしているのは知っていた。今夜は、やることもなく暇で、おおかた、眠れないのだろう。

「ローディア、ココアでも飲むかい?」

「いらない。甘いの好きじゃない」

 ソファでからだを横にしたローディアが気怠い声で答えた。

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