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“白騎士団”物語 1-9

『彼の秘め事』

 災害が起きたのは、あくまでも山道の向こう側にある研究所であって、同じ領地内でも山の麓のほうは特別変わりもない。災害の影響など少しも現れることなく、淡いオレンジ色の街燈の灯りだした街並みはほんのりと色づいていた。

 図書館や小さな研究機関の多い場所だ。ハルバルト国内で最多とはいわないまでも、学校などもそろっていて、教育には比較的力を注いでいる地区である。ただ、領地の端のほうへ行くと、民家の半分を酒場にしたような建物が多くでてくる。客室など数えるほどもないような小さな宿屋が付属している場所もあった。

 その一つ、一階スペースをやや掘り下げて半分ほど地下にした酒場に、トラヴィスは訪れていた。広さはそれほどない。カウンターの席がいくつかと、二人掛けの個別のテーブルがほんの三席ほどあるばかりだ。照明はランタンの火に頼っていてほんのりと暗く、窓を閉め切った店内には酒の匂いが満ちていた。

 トラヴィスはカウンターの前に立つと、席に座るでもなく、酒を注文するでもなく、品のいい艶のある制服を着た年上の男に声をかけた。

「奥へ通してもらえますか?」

 ほんの数人程度いる客にも聞こえないような声で言うと、男はゆっくりと頷いた。それだけ確認して、トラヴィスはカウンターの脇にある、観葉植物に隠されるような木の扉を開けた。

 扉の向こうは短い上り階段になっていて、少し直進した突き当りにまた扉がある。その向こうは部屋があって、上客にだけ提供されているベッドルームだった。なかはそこらの宿屋よりずっと上等なものである。部屋のすみには薄いカーテンが引かれてバスタブがあり、ささやかな出窓の近くにはテーブルと二組のソファがそっと置かれている。広々としたベッドなどは部屋の中央にあり、いまはそこに一人の娘が横たわっていた。

 まだ二〇歳になるかどううかといった年頃の娘だ。波打つ栗毛を腰元まで伸ばして、薄いレース地のネグリジェ越しに素肌の上を泳がせている。華奢な体つきをしていて、しかし骨ばっているところはどこにもない。

 彼女はトラヴィスの来訪に気づくと、まだ少しばかり幼さの残る顔に笑みを浮かべて、そろりと身を起こした。

「待ちくたびれちゃったわ、ウォーカー先生」

「ごめんね。許してくれるかな?」

 ベッドの端に座る娘の隣へ腰かけ、彼女の細い肩を抱き寄せる。甘い香りのする髪に唇を寄せて、トラヴィスは穏やかに微笑みかけた。

 娘はトラヴィスに体を預けながら、いたずらっぽく笑う。

「朝まで付き合ってくれたらね」

「お父さんに怒られちゃいそうだ」

「大丈夫、学校の友達のところに行くって言ってきたの」

 それとも――――娘が甘えるようにしてトラヴィスの首元に腕を絡める。

「ウォーカー先生と二人きりで特別なお勉強って言ったほうがよかった?」

「ダメ」

 そうして娘の唇にキスをした。そのまま離れるでもなく、吐息の混ざるような距離でトラヴィスは口を開く。

「ジェシカ、頼んでおいたものは持って来てくれた?」

「あるわよ、枕の下。でもまだダメ。ね?」

 娘は――ジェシカ・トルーマンはくすくすと笑いながらトラヴィスの胸元に指を這わせる。

「あぁ、わかっているよ。ジェシカ、目を閉じてごらん」

 ジェシカの肩は抱き寄せたまま身を話し、トラヴィスは彼女の目元を片手で覆う。彼女は従順だった。耳朶に唇を触れさせるほど寄せると、身動ぎこそしたが、むしろいっそうに体を摺り寄せた。

 トラヴィスが囁くのは、甘い言葉ではなかった。彼女には伝わりようもない、魔術の言葉である。やがて彼が体を離すと、彼女はこくりと項垂れたきり、その場に座って動かなくなる。

「ジェシカ、教えてくれるかい? トルーマン家に出入りしている連中は何者かな?」

「わからない。お父様は私には何も教えてくださらないもの」

 俯いたままのジェシカが虚ろな声で言う。

「同じ人……いつも同じ人が来ているのを見たわ。お父様と会って何かをしているようなのだけれど……お屋敷の、一番奥のお部屋で……何かをずっと話しているの」

「どんな人かはわかる?」

「ローブを着ているわ。背が高くて……男の人。顔はよく見えなくて……それで……一度だけ、声を聞いたことがあるの、とても静かな声だった。ここの木はもうじき枯れてしまう、って」

「そう、ありがとう」

 穏やかに言うと、ジェシカの髪をそっと撫でおろす。かくんと彼女の肩が揺れて、まるでうたたねでもしていたかのように、はっと顔を上げた。

「あら、私……」

「疲れていたのかな、少しぼんやりしていたみたいだけど」

 何事もなかったかのように微笑んで髪を撫でるトラヴィスに、しかしジェシカはどこか納得がいかないように首を傾げる。

「なんだか不思議。あなたといると、ときどき、起きているのに眠っているような、そんな瞬間があるわ」

「そう、どうしてだろうね」

 そうして彼女にゆっくりと深くキスをする。同時に華奢な体をそっとベッドに横たえさせて、その素肌に触れた。

 

 

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