top of page

〝白騎士団〟物語 1-8

『軍のこれからと昔』

 翌日の夕方、北地域中央研究所にて起きた出来事は、一つの『災害』として報じられた。原因究明は研究所のあった地区を治めるトルーマン家保有の自警団と、研究所の管理責任者、ディック・ヘンウッド率いる研究所職員とがあたることになり、移行の調査結果などは必要に応じて公開していくと決定された。

 以上の報告を聞くともなしに聞き流し、フェルは前を歩く大柄な男の背中を見据える。ジーン・ホワイトリー少佐、フェルの上司にあたる人物だった。角刈りの頭はすっかり白くなっている老齢の兵士だが、背筋は伸びたままであるし、その風格は立派なものだった。

 軍本部の野外訓練場を出たところで、まるで待ち構えていたように現れ、そして連行を促されたのだ。そうしていま彼らがいるのは、無機質な施設群の間を抜けて、一際巨大に造られた建物の一画、比較的小さな作戦室である。軍のなかでも要人などが集まることの多い場所であるせいか、他の施設内のような簡素で無骨な造りではなく、足元などは柔らかい絨毯などが敷いてあったし、天井は骨格が剥き出しになっていない。いまは調度品などもなくがらんどうの状態であるが、必要に応じて、テーブルなりなんなりが運び入れられる扉はやや大きくできていた。照明は白色のもので、何かの植物を加工してガラスケースに収めたもののようだが、具体的なところはフェルにはわからない。

 ジーンは部屋の中程に立ち、目尻のしわの目立つ柔和な表情でフェルを見下ろす。

「さて、まずは楽にしてほしい。別に、お前さんを叱るために呼んだのじゃないんだ」

「では、どういった用件で」

 直立不動の姿勢で応じると、ジーンはにやりと悪戯好きの子供のように笑った。

「『では』、か。さては叱られる覚えでもあるのだね?」

「いえ、まったく」

「まあそれはまたの機会にしよう。ときにロッド大尉、いい知らせと悪い知らせ、どちらから聞きたいかね」

 ジーンの目が見透かすように細められる。これが苦手だった。

 フェルは視線を反らすことなく「悪いほうから」と短く答える。

「道中話した研究所の災害の件だが、我々からも調査部隊を派遣し、自警団及び研究所と共同で調査を行うことが決定した」

「はあ……」

 肩の力が抜けそうになる。軍のなかには調査なり捜査なりの専門の部署があるのだから、部隊を派遣することは問題ない。ただ、共同となると、派遣される者は苦労しそうだ、ということだけわかった。

「次にいい知らせだが……その派遣部隊が、ロッド大尉、お前さんの部隊に決まったよ」

「は?」

 急な話に眉根を寄せる。曇り一つない明りのなか、ジーンがフェルの反応を面白がるように笑っていた。

「災害現場から生存した研究者が二人いてな。どちらも有名な研究者だ。彼らからの条件だよ、調査に全面的に協力するかわりに、フェル・ロッドを指揮官につけろとね。これはまさに好機だ」

 いいか、と、ジーンは唐突に制服の胸ポケットに手を入れる。いくつかの勲章などが輝く左胸のポケットだ。彼がそこから取り出したのは、一枚の金貨だった。

 差し出された金貨を受け取り、フェルはその表面を見遣る。豊かな髭の男の横顔が彫刻された、国内で流通している金貨である。金属らしい光沢もあり、重みも充分だ。しかし、外枠のざらつきに違和感があった。かすかにだが塗装が剥がれて黒い内側の部分が露出しているのがわかる。

「偽金、ですか」

「トルーマン家の領地近辺でいくつか見つかった。名誉あるトルーマン家がこんな安物を許すとは思えないが、しかし見過ごすわけにはいかない」

 フェルから戻された金貨を再び胸元へとしまい込み、ジーンはゆっくりと頭を左右に振った。

「今回の災害で自警団のやるべき仕事が増えてしまった。当然、領地内の警備が手薄になる。その隙を狙ってこういった代物が出回ってはならないのだよ」

 ジーンがポケットの上をぽんぽんと叩くと、「それと、」と続ける。

「どこだったかな、忘れてしまったが、ある部署からお前さんの部隊に異動になった兵士がいてな。まあ、面倒を見てやってくれ」

「了解」

 ジーンへ敬礼を返すと、ようやく話が終わったらしい。彼は大きく一つうなずき、フェルの肩へと手を置いた。

「頼むよ、大尉。くれぐれも、期待を裏切らないでくれ」

 最後にぐっと手に力が入り、それが離れるころには作戦室の入り口へ歩いている。

 やがてジーンのいなくなった部屋で、フェルは長く息を吐き出した。いい知らせと悪い知らせと言うが、どれもこれも悪い知らせだった。

 

 

 薬臭さが壁や調度なんかに染みついた医務室は、丁度いまは人が少ない。入り口を開けると真正面に軍医が使う執務机があり、その向こう側の窓辺はすべてカーテンで外の光を遮断していた。室内を照らすのは天上から吊り下げられたランタンである。部屋の左手の壁際には作り付けの薬品棚があり、透明なガラスの戸の奥に様々な瓶や小さな木のケースなどが並んでいる。その奥手にはベッドルームへつながる扉があった。

 しんと静かなその場所で、ツカサは包帯を巻かれる自分の手を見遣る。グラスをうっかり握り潰して、ガラスの破片で手を深く切ってしまったのだ。

 背凭れのない簡素な木の椅子に腰かける彼の正面、執務机と対になる革張りの椅子に座るのは軍医ではなく、部隊の先輩にあたる若い女――マライア・フラーだった。とにかく背丈の高い女だ。ショートカットのブロンドに、目尻の吊りあがったような目元をしている。フェルの同期だというが、いまは彼の部下であった。

 包帯の端のほうをきっちりと結んでとめて、マライアはツカサの手の甲を軽く叩く。切り傷がじんと痛んだ。

「痛いですよ」

「大丈夫よ、戦争のときはもっと痛いことが山のようにあるんだから」

 マライアが快活に笑う。血色のいい唇から覗いたのは、歯並びのいい白い歯だった。

「それにしても、イサハヤ、あんた配属されたころから怪我ばっかしてるけど、ちゃんと肉体づくりとかできてんの?」

「それは……」

 マライアの見透かしたような言葉に、ツカサは罰が悪そうに身動ぎした。真新しい包帯の巻かれた両手を見て、それから足にも目を向ける。数日前に軽くくじいてしまったところだ。いまは歩くことに支障こそなくなったが、フェルに背負われて兵舎まで帰ったのは記憶に新しい。

「すっごい怪力って聞いて、これは第二のフェルかなんて思ったけど、ちょっと自分の体を知らなすぎよ」

「すみません」

 机上にある消毒液やらピンセットやら何やらを木箱に詰め直すマライアをちらりと見るが、ツカサはすぐに視線を落とす。反論の余地もなかった。

「力加減を覚えなさい。って、それはいまフェルから教わってるんだっけ? 一対一の特別メニュー。スパルタできつくない?」

「いえ、全然……でもないですけど、でも、俺のために時間を割いてくれているんです。きついとかってことは考えないようにしています」

 あらそう、と、マライアが木箱の蓋をぱたんと閉じる。彼女はその箱の上に肘を置いて体を凭れさせ、ツカサに小さく笑いかけた。

「あんたのそういう心がけはいいと思うけど、ねぇ。ね、ちょっと昔話でもしましょうか。面白いのがあるの」

 言うや、彼女はソファの背凭れに寄り掛かって虚空に目を遣った。さて何から話してやろうか、という具合だ。

「何年前だっけかなあ……たぶん二年くらい前。国境近くで、他国と揉めたことがあってね、武力衝突したときがあったの。そのときに相手拠点に先遣隊として送り込まれたのが臨時編成の部隊だったんだけど、現場の指揮官がフェルでね。補佐は新兵じゃないけど、実戦経験の浅い若い子だったんだ。投入された戦力は、ざっと四〇人ってとこだし、おかしいと思うでしょ? 私も思ってた。でも行かないわけにはいかないから、死ぬかもしれないなあ、なんて思いながら出撃したよ。でも意外なくらい最初は順調だった。最初だけね。敵陣にわりと踏み込んだあたりで、全部向こうの作戦だったって気づいたよ。それまでの雑な迎撃部隊が嘘みたいに、物資も人もめちゃくちゃたくさん注ぎ込んで待ち構えていた。けっこう死んだねぇ……。戦力差を考えたら、あれでもまだ少ないほうなのかもしれないけど、でもこっちの戦力は確実に削られた。おかげで士気は下がるわ逃亡を扇動する馬鹿まででてくるわ、散々だったよ。そこまできてようやく、国のほうから撤退命令が下った。ねえ、イサハヤ、このとき、あの体力馬鹿大尉はなんて言ったと思う?」

 マライアの視線がツカサを捉えて笑う。

 ツカサには彼女の意図するところも、当時のフェルが何を言ったのかも想像できなかった。

「……。なんて言ったんですか?」

「『勝って生き残りたい奴だけ俺について来い』、だってさ。『帰りたい奴は帰ればいいだろ、死んで後悔するかもしれねぇな』とも言ってた。つまり、撤退拒否ってこと。笑っちゃうよね、せっかく国に帰れるかもしれないってときに。でも私はついて行った。死にたくなかったし」

 マライアはいかにも愉快そうに笑いながら話すと、「それでね、」と続けた。

「あの馬鹿について行ったのが、ざっと一五人弱ってところ。足りなくなった物資は相手をぶちのめして奪って凌いで、ってことをしながら、敵本陣に突撃した。それであとは死にもの狂いで戦って殲滅して、終わり。人数が減って指示が通りやすくなったのと、相手が本陣側の守りを少し弱めていたおかげで助かったわ。ちなみに、帰投命令に従った奴らは、退路で待ち伏せしていた敵兵に殲滅されちゃった。敵兵が潜んでいること、あの馬鹿は読んでたんだね。まあ結局、作戦終了後には懲罰房行きが決まってたんだけど。査問会議にも呼び出されて、むしろ戦場にいるときより大変そうだったなあ」

「よく、降格されませんでしたね」

「相手の指揮を執っていたのがハルバルト軍の中佐だったせいよ。あわよくば国同士を衝突させて、双方の戦力を削ってから、第三の国に情報を流して亡命して、って手筈だったみたい。そっちの処理が忙しかったの」

 皮肉っぽく笑って、「あ、」と声をあげる。マライアは顔の前で両手をパチンと打ち合わせた。

「ごめん、これ言っちゃいけないことだったんだ。忘れて」

「えっ……。えっと……極力、忘れるようにします」

 苦笑をこぼすツカサの前で、マライアは「さてと、」と立ち上がった。応急処置のセットを詰めた箱を持ち、きょうはこれで終わりと笑顔を見せる。

「例の大尉も呼び出しくらってどっか行ったきりだし、イサハヤは兵舎で寝てな」

「はい。お世話になりました」

 立ち上がり一礼して、はいはいと軽くあしらわれる。彼女が木箱を壁際の薬棚に戻すのを見届けて、ツカサは小さく息を吸った。

「フラー少尉。お話、ありがとうございました」

「いいってことよ。まあ、あんたも、死んで後悔する側にならないようにね」

 棚の戸をぱたんと閉じたマライアの背中越しの声に、ツカサははいと、少しばかり落ち着いた声で答えた。

bottom of page