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『ぬばたまの』 其ノ二

特務警備部

 西区は帝都の端にある。長く高く連なる山を越えると、舗装された道が縦横無尽に広がる景色は一変して、田園地帯が広がっている農村区になる。この山が帝都と外との境界線だった。

 特務警備部帝都西支部で活動できるのは、山より帝都寄りの場所だけ。鬼がここを越えると、老朽化の進んだ支部が、貧弱な兵装で応戦しなければならなくなる。そしてさらにそこが突破されると、今度は盆地地形の底の部分に差し掛かり、段々になった畑や田んぼを耕す人の住む町になる。さらに向こう側、より険しく切り立った山がある場所には、家族が住んでいた。

 この地区を突破されてはならない。何を代償にしようとも、この先には行かせない。

 鬼の発生は主に帝都内で起きている。ごく稀に帝都外でもあるが、発見が早ければ、そして周囲の理解さえあれば、犠牲が出る前に対処できる。

 鬼は人がなる。角が生えて徐々に理性を失い、人を襲うようになる。原因は菌の一種だ。体内に入ると脳を汚染して食い荒らし、意識を奪う。症状の初期段階ならば治療方法が確立されているし、うまくいけば後遺症もなく完治できる。人から人への感染例はいまのところない。

 問題は、治療不可のところまで症状が進行してしまった場合。そのときは、殺すほかに解決方法がない。そのための特務警備部だ。

 僕が軍のこの部署を志願したとき、父親に強く反対された。殴られもした。勘当宣告もうけた。それでも僕は、ここに来た。

 引き金を引く。反動を逃がすように軽く腕をしならせ、硝煙の向こうの的を見る。人型の等身大ターゲットの頭部に、焦げた穴が開いていた。

「九割、ってところね、月世准尉殿」

 後ろから声がした。振り向いた先には、黒のタンクトップを着て胸の谷間をかすかに覗かせた札木曹長がいた。

 ブーツの底で鉄板の床を踏み鳴らしながら、彼女は僕の隣に並ぶ。その手には、黒塗りのオートマチックが握られていた。

「どうして頭ばかり狙うの?」

「一撃で終わるからに決まってるだろ」

「学校で習ったでしょう? 体の真ん中を狙えば多少的がぶれてもどこかしらに当たるって」

 薄く笑った目が僕を見上げる。吊り上った猫みたいな目をした女だった。

 遠くのほうで的が動き出す。配置された壁の後ろ側から飛び出した薄い板に、彼女は迷わず発砲した。命中だが、当たったのは脇腹付近。壁から壁の間を横切っていた的が一度とまる。その間にさらに発砲。胸に穴が開いた。

「二発だ」

「そうね」

「鬼の一人に対して二発以上の銃弾が必要になる。資源は無限にあるわけじゃないぞ」

「外すよりはマシよ」

 足元に無造作に投げ捨てられたような大きな木箱の影から、ターゲットがひょっと飛び出す。札木はまた撃った。当たったのは、胸付近。また物陰に引っ込もうとして的が動いたせいだった。

「いまのは運がいいわね」

「まったくだ」

「最近どう? 医療班の月雲曹長と同棲中なんでしょう?」

 銃をまっすぐに構えて左手で右手を支えながら、札木は口元をゆがめた。

 薄い仕切り用の壁一枚向こうの隣のレーンに人が入る。話をしていれば聞こえる場所だ。

「同棲じゃない、相部屋だ」

「同じ部屋で毎晩寝ているのね」

「その言い方やめろよ。仕方ないだろう、少しでも家賃を抑えたかったんだ」

「給料なら充分に支払われているはずよ? この前の危険手当だってかなり出たでしょう」

「その金は僕が自由にできるぶんじゃない。じゃ、訓練頑張れよ」

 これ以上何かを言われる前に、札木から離れてしまう。通路に出ると、それなりに人がいた。どいつもこいつも、暇を持て余したような顔をしていた。

 銃声が外に漏れないように防音仕様になった訓練室を出る。分厚い扉をしめて入口脇の小さなテーブルの上、クリップボードでまとめられた紙の束を見る。使用記入用紙だ。名前、階級、それから入室時間と退室時間、仕様レーンの記録を残して、壁にはめこまれたホワイトボードのほうを確認する。レーンの使用状況をマグネットで知らせるものだったが、札木が引き続き使っているのだから、これは僕がいじらなくてもいい。

 打ち放しの天上の暗がりを蛾だかなんだかの虫が飛んでいくのが見えた。窓が開け放してあって、そこから入り込んだのだろう。建物の影になって湿った空気が外から入り込んでは内側から排出されていく。煌々と照らされた通路は、外よりもずっと明るかった。

 通路を真っ直ぐに進む。壁のコルクボードにある張り紙を流し見ながら突き当りを左に折れるころに、野戦服の胸ポケットで端末機が振動した。どうせ仕事だろうということは想像がついた。手遅れか、まだギリギリ間に合うのか、問題はそこだけだ。

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