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『ぬばたまの』 其ノ三

討伐

 鬼は西区を山間部へ向かって逃走中、治療はほぼ無理とのことだった。それでも私がいるのは、名目上は兵士や逃げ遅れた一般市民が万が一にも負傷したときのためだった。

 帝都東区と違い西区には住宅地が広がっている。駅周辺にはビルなんかもちらほらと見受けられるが、帝都内では田舎に位置付けられた。いま例の鬼がいるのは、駅から線路沿いをずっと西に向かった場所で、民家や地元スーパーの建つ場所であった。

 近隣住民の避難は一通り終えている。人気のない幅広の道路に立つのは、市瀬中尉の率いる第一師団の半数で構成した部隊だけで、その後方に輸送用装甲車を停めて、簡易のベースキャンプにしている。医療班の待機場所であった。

 中尉の合図で、二列横隊で並んでいた一〇人ほどの兵士達がそれぞれに割り振られた場所へ走る。二から一組でチームを組んで偵察にあたるのだ。

 月世さんは、札木曹長とのチームだった。二人とも帯刀して、火器はハンドガンに限定されている。住宅街だからだ。普通の鬼ならそれで充分だった。

 二人が民家のブロック塀同士に挟まれた暗い路地に入るのを見送る。本当なら私もついて行きたいところだが、それはぐっと堪えた。

 札木曹長は腕っぷしのいい兵士だが、月世さんを任せるのには不安が残る。ここに潜伏している鬼が報告通り一体だけならば問題はないだろう。けれど、こういった作戦において、イレギュラーが起きるのは当たり前だった。

 輸送車を降りてその側面で直立不動の姿勢をとり周囲を見回しながら、私は彼の無事を祈るしかできない。目の前にある生垣を眺めていても、いま月世さんがどうしているのか、わかりはしなかった。

 そうしてどれくらいが経過しただろうか。おそらくそこ二〇分ちょっとのことだろうが、ふいに左耳につけた無線機のイヤホンにノイズが走った。

『こちらチーム・ガンマ、C地点にてターゲットを確認、A地点方面に移動中。こいつ、くっそ速い。猿かよ』

 走っているのか、乱れかけた呼吸と雑音とが一緒になって報告が届いた。

 A地点に向かって、つまり月世さんのいる方向。あの人は鬼を呼び寄せる。

『チーム・アルファ、了解。こちらで迎撃する』

 月世さんの声が淡々と応答した。機械越しでもやはり、耳障りのいい落ち着いた声だった。

 近くを巡回中のチームが月世さん達に合流する旨を報告する。市瀬中尉からの指示によって、他チームはA地点を中心に巡回するよう隊列を組み直された。

「木在少尉、」

 ドアを開け放ったままの輸送車後部の警戒をしている医療班長に声をかける。上背のある大男で、医療班よりも現場で怒声を飛ばしているような印象の男だ。彫りの深い四角い顔に、日焼けした肌をしている。

 彼は私を一睨みして、「言ってみろ」と突き放すように言う。

「私も現場を見て来てもよろしいですか?」

「待機しろ。医療班が救護される側になることは許されない」

「了解しました」

 持ち場に戻る。また生垣を眺めていると、深い緑色の木葉の向こうに、黒い影が見えた。大きさはおよそ人間の成人男性程度、両腕でひさしの縁に掴まり、軽く反動をつけてから瓦の上に飛び乗る。背中を丸めた姿勢でさらに跳躍し、屋根に飛びついた。

 白衣のポケットに突っ込んだ無線機の発信ボタンを押す。

「こちら医療班、B地点にて鬼らしき影を発見。A地点方面へ逃走」

『待ってよ、鬼ならいまA地点で交戦を開始したところよ』

「ならきっと、二体目ですよ」

 札木曹長の困惑した声に応えて、車両後部に目を遣る。木在少尉はまだそこにいた。

 

 

 生垣の間を抜けて、ベースキャンプとは反対側に、できるだけ開けた場所を目指す。札木とチーム・ベータの二人には新手の迎撃に向かわせた。

 片側一車線の私道に出る。ここなら見通しもいいし、鬼が飛び回れるような高低差も比較的少ない。そのぶん、標的になりやすくもなるのは、このさい仕方がなかった。

 屋根から木へ、木からコンクリの地面へと降り立ったのは、人の姿の鬼だった。角は三本、耳の後ろと額の真ん中から伸びている。白目を剥いた眼球は充血していて、口は半開きになって呻き声をこぼす。もう、人としての理性や知性は失っていた。

 猫背の姿勢で両腕をだらりと垂れ提げる鬼に銃口を向ける。と、足のバネをいっぱいに使って跳躍し、いまさっき飛び出してきたばかりの民家の石垣の上に飛び乗った。視力も悪くないようだ。

 鬼がバキリと木の枝を折る。太く丈夫に育った木は、柘植だろう。またずいぶんと硬い木を選んだもんだ。

 簡易の武器を手に、鬼が石垣を蹴るのが見えた。真横に飛び退くと、直後に肩を木の枝葉がかすめた。服の布地の心配もだが、いまはそれよりも身をひねって標的を見据える。木を手放し身を屈めている鬼がいた。その手は僕の刀を狙っていて、僕からすれば頭を撃ち抜くのに丁度いい位置取りだった。

 発砲。乾いた音がして、飛び散った鮮血が地面に跳ねる。鬼の体は仰け反り、固いコンクリに砕けかけの後頭部を打ち付けた。と同時に、背中を殴られる。よろめいたものの転ぶことは免れ、しかし振り向きざまに突き飛ばされる。

 側溝を越えて畑の土のなかに倒れ込んだのは幸いだった。土は柔らかくて打ち付けた背はそこまで痛まない。だが一方で、視界に影が差したのは不幸だった。

 正面には見覚えのない男の顔。額に角が三本並んでいる。目は充血した白い部分を全面に見せていて……もう、助かりようもないのは明確であった。

 いままでこの近くに隠れていたのだろう。鬼になる恐怖を抱えつつ、鬼として見られることにも怯えつつ、もしかしたら僕達のような人間に無情に殺されるのかもしれないと恐れつつ。

 すまない、と、謝ったところでこの男は治りようもない。

 ぐっと、僕の首をしめる手を掴みかえす。引き剥がして頭だけを撃てば、せめて苦しむこともなく――――

 遠くから、乾いた銃声がした。目の前にあった頭が文字通り吹っ飛ぶ。血が飛び出たのは、残された体が僕の上から弾き飛ばされてからだった。

「月世さん、無事ですか?」

 その声とともに上体を抱え上げられた。抱きしめられた。

 金色のような、灰色のような透明感のある色をした髪が鼻先をかすめる。図体のデカいこいつにだきしめられて、ようやく何が起きたのかを理解した。

「月雲、離せ」

「嫌です」

「離さないのなら今晩僕は兵舎の空きベッドで寝る」

 脅して、ようやく体が離れる。間近で見る月雲の顔は、鼻筋が通っていて全体の均整がとれている。遠目にはいつでも笑っているような目つきをしているわりに、異国風の灰色の目の奥は笑っていないように見えた。

「拠点で待機じゃなかったのか、お前」

「月世さんに会いたくて来ちゃいました」

「無駄に動き回るなよ、目ぇつけられるぞ」

 立ち上がると、少しばかり眩暈がした。隣で月雲が肩に手を回して僕を支える。ずいぶんと目敏い。

「誰か来る前に戻れよ」

「そうします。また後で会いましょう」

 月雲は笑顔を見せると、通り沿いに装甲車のあるほうへ歩いて行った。僕も畑を出て、無線機に手を伸ばす。あとでこの畑の持ち主にお詫びを届けなければならないだろうし、柘植の木の家にも謝罪が必要になりそうだ。

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